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オモイのかいたい

歩ける範囲にあるお気に入りのお店が
次々と移転や閉店されていて
こんな所でも切り替えを感じるなあと
思ってみたりしています

移転は希望的観点からのようですが
閉店の殆どはご年配で後継ぎおらず
などの理由のようなのでここでも
世代交代とかを感じてみたり
古き良き味わいがなくなっていくなあと
寂しく思ってみたり



いま色んな方面で様々な角度から
変化変容 切り替え 書き換え 交代
などのワードが飛び込んできていて
現実面でもそれらしき現われがあったりします

ああ 本当に変わるんだなあ と
まったりしながらも ひしひしと
感じてみたりして

変化 は当たり前のことで日常ですが
ダイナミックなものや 社会的な想念でのこと
おおもと根本から揺るがすようなもの は
そうそうタイミング合うわけではないので
やはり 今生れ出ている人たちは
そういうタイミングで来てるよなあと感じます



その中でも色々役割があって
昭和を経てこの改革の端っこカスル人は
重き時代から軽い時代への脱皮みたいなのも
含まれているだろうし
令和生まれならば新しき時代のDNAを持ち
初めから軽い時代の先駆者達の仲間だろうし
人としての生が80年として
その80のうちどこにどれ位が掛かっているかで
赤ちゃんからご年配まで見事なバランスになっていて
それぞれの視点立ち位置からの役割を
それぞれのスタンスでそれぞれの時代で
現れているようです

50年前というものを顧みても
今の世は想像すら出来ていなかったわけで
この先50年でどれくらい変わるのか
50年後の誰かは今の時代がどう見えるのか
たぶん予想をはるかに超えるのでしょう



昭和を経ている我々が
いま面と向かわなければならないのは
今まで蓄積して得て来たものは
なーんも役には立たないよ という事で
経験は経験として良いのですが
それは継続的ではない という事を
ちゃんと認識しないと
いつまでも 今までの経験 という幻に
とっつかまってしまうかもしれません

そこには
今までの(私の)経験 という
( )が隠れていて
結局は 私の 自分の という
確固たる自分 というものを
強める方向へ流れていきます



これをしたからこうなる というような
積立式の考え方も合わなくなって行くでしょうし
今まで習ってきて身体に馴染んでいるものが
そうではなかったんだ と
一枚一枚薄皮がはがれていくように
時代のシフトが起きていくのかもしれません



色々な ”ひっくり返り” も起きるでしょうし
根本からの覆りもあるかもしれません

どれもこれも向かう先は
ヒカリであり輝きであり安心であり

ひっくり返す ためには
ひっくり返るもの が必要だったわけで
くつがえす ためには
くつがえす元 ありきのお話しです

そして
ひっくり返ろうが くつがえされようが
すべてそれらは 思い です



今までの 思い の解体 が
いま起きているようです

より軽い
風に乗れるように

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。