見出し画像

意識変化しやすいとき piece_vol.76

30分くらいお散歩して「歩く」をやると、身体がポカポカしてきます。
お家であれだけ足先手先が冷たかったのに、手も足も指先までポカポカです。お家のほうが暖かなのに。いつも不思議だなぁと思います。身体ってすごいなと。

身体を暖めるようにはしていますが、どちらかと言うと「身体の循環を良くする」方に重きを置いていて。詰まらないようにする。めぐりを良くする。
それには深呼吸も大活躍だし、太陽も浴びた瞬間から身体が緩み体内が流れるのがわかります。家の中だけだとやはり限りがあるので、お散歩はリフレッシュも兼ねたスペシャルになります。

そして身体の声を聞き、お散歩をルーティーンにしてようが、身体が休みたいと言ってるときはしっかり休む。
頭で考えず、その時その時自分の様子に合わせて行動する。
緻密なスケジュールで何かやるよりも、結局は自分が楽みたいです。


画像1


もう全体がひろがっています。
今までは土台を整え、コアを整え、それぞれがこれからの変化に対応できるよう基礎作り的なことがなされてきました。
それらもほぼ終わり、これからは本人の自由意思で変化を楽しむことができます。誰か特別な人だけがというのではなく、誰でもみんな。

変化を楽しむというのは目の前の現象的な事を良くするということではなく、もちろんそれが全てでそれだけをやりたい人はそれも出来ますしそれで良いのだと思いますが、もっと内面的なこと、内面の変化、しいてはそもそもなんで生きてるんだ?という誰でも心の奥底に持っているもの、外側の仮想現実の見抜き、そういった内的変化の楽しさです。

外側の世界を現実と思い、"世界の中の自分"と思っている限りは今までと変わらぬ日常が続きます。それを楽しむ事が今生の生き甲斐の方もいるでしょうからそれはそれでヨシなのです。
それでも多くの方は何かのキッカケで内面に向かわざるをえないようになり、自然な形で真実の方向へ向かうように出来ているようです。

今まではそれを望んでもとても全体が重かったので容易くはありませんでしたが、もうかなり軽くなり土台も整いつつあるいま、本人にその意識があれば変化は速いのです。


画像4


変化には多少の困難と思えることもあるかもしれませんが、そもそもその「困難」なんてないんだよ、というお話であり、頭の理解ではなく、それをやって変化を受け入れることでナニカが深まり、気付きがあり、「困難」という概念自体がひっくり返ります。

もちろんこれらもストーリーでありしきの世界の事ですが、現に目の前には様々な物事が起き移ろいゆく世界に生きています。自我がなくなることはなく、身体というものでこの世界を楽しんでいるのですから、ならぱストーリーということを理解した上で遊べばよいのではないのかしらと思うのです。
「この世は妄想仮想だから、だったら楽に生きた方がいい」「ならばもっといい方法で」とかいう外向き理解ではなく。

外側世界の中の自分ではなく
ジブンの中に世界(宇宙)がある
というひっくり返り。

それが深まることで
その先へ。


画像2


あらゆる出来事は
それらを思い出すために
起きています

出来事自体は中立であり
意味はありませんが
個々(と思っているもの)のナニカが
それぞれのカタチでそれらに反応し
思い出す方向へと
流れています


画像3


そこに
自分 はありません

思い出すのは
自分 ではありません

でも

ナニカが
変わるのです

不可思議な
この世界は

自分が 理解しようとする限り
言葉 で知ろうとする限り
遠退いていきます


摩訶不思議な
面白い世界です


ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。