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意味がないから つけられる

夏生まれの私にとって、7月8月そして9月の半ば頃までと言うのは、毎年何かしら大きく動く時であるようで、ここ数年のそういった変化を観てみても、誕生というものは何かしらのパワーがあり、そのサイクルもあるもんだなと感じています。
それはきっと誰でもそうであって、人それぞれ誕生月の前後というのは、色んな変化があるのではないのかしら。



それはまるで、自分専用の絵本のようで。
この世界に誕生し、物語が始まり、ページがめくられていく。
誕生日が訪れるごとに絵本は増えていき厚くなっていく。
明日のページは白紙だけれども、それは見えていないだけで、そこには様々なストーリーがあり、その時々変わる。
そんな中で、自分の誕生前後というのは、エネルギーがパワフルで切り替わるタイミングでもあるような、そんな感じがします。



起きている出来事は平等で中立で
意味 はありません

その日起きた出来事が
淡々と絵本に綴られるのもよいですが
そこに 自分 の感情や思いが
書き添えられることで
自分というオリジナリティが表れ
独自の絵本として輝きを増します

意味のない出来事に
自分というフィルターを通した
意味づけをした物語が
綴られていくのです

起きていることに意味がない
というと
少し無機質的にも捉えられますが

意味がない から
意味が付いてない から
自分独自の意味づけが出来て

そしてそれは
無限です

こうである こうにしかならない

自分で決めてしまわなければ
固定させてしまわなければ

あらゆる可能性が
含まれていて

そこに限りはありません



私はこの先どんな物語の絵本なのかしら
ではなくて

その白いページには
あらゆる可能性が隠れているので
その 自分という個性 の範囲内で
どんな物語も
紡ぐことが出来るのです



今日もまた
いちページが綴られていきます

いま この瞬間が
無限の可能性です

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。