自分を生きると決めるトキ peace_Vol.100
この時期の朝は 窓から見える雲が毎日行進していて
その もくもくとした形で ものすごいスピードで流れていく雲たちが とっても楽しそうで 愉快で 毎朝 「い~な~ 乗りたいなぁ~」と思いながら眺めてる
あれに乗って ぐるぐると廻り巡りながら 街中を眺めたり 樹や森をみたり 海を渡ったり 風と戯れたりしたら どんなに愉しいだろう
空って不思議で その季節 その時間帯 その場所 さまざまな要因で変わって 色んな世界を見せてくれるけれど
私の目から見える空はほんの少しで一部だけれど もう少し高い所 もう少し広い所 そんな所から眺めると
それまで ”色んな世界を見せてくれる” と思っていたのは単なる勘違いで
大きなひとつの世界の その欠片 その一片 その僅かな隙間だけを この私の目というものが捉えていただけだと 気づくことが出来る
現に 今真上を見上げたとして そのまま少しだけ高台に登れば 空が少しずつ開けていき 雲が少しずつ増えてもしくは減っていき さっきの場所で見た空が そのまんま 拡がっていく
私の目で見えてる世界 だけが ほんとうではない
眠りというのはスゴイもので
ここ数日ものすごーく眠っているのだけど
眠れば眠るほど肉体的身体の調子は
良くなっているように感じる
そして巷で言われるように
食べすぎず 何なら少し断食気味くらいだと
冴え というものが澄んでくるのは
実体験として感じる
自分というものに
目を向ければ向けるほど
そんな細やかな事にも気づくようになってきて
今までどれだけ流れ作業的に生きて来たか
思い知らされる感じもする
生きて来たけど
生きていない
いま
さまざまな 切り替え が起きているけど
そのうちのひとつに
自分というものを
これから生きていきますか? という
問いに対する答えを
出す流れのようなものが
訪れているかなーと感じます
この 自分 というのは
〇〇という名前のついたこの
肉体のある〇〇 の事で
この器である肉体を纏った〇〇として
これから本気でちゃんと生きますか?
と いう そんなようなもの
これは
今までも何回かあったのだけど
少しずつ角度が変わって来ていて
今回のは
そうだと踏まえたうえて
その肉体〇〇としての人生を
ちゃんと真っ向から生きますか?
生きる腹決めをしますか? と
そう問われると
今までもYesだったけれども
どこかで自我的マインドが入っていて
より良く生きるために というものが
あったんだなーと
いまだからこそそう感じるのかもしれません
そう
今までは生きているようで生きていなかった
自分の意志で生きている と
思って生きてきたようで実際は
何ひとつとて自分の意志で生きたことはなく
更に言えば単に流されてここまで辿り着いて
その 流されて は
周りのあれやこれに流されながら
それを自分の意志と勘違いしながら
そう生きて来たのかもしれません
そうではなくて
この器としての自分を生きる
生ききる と 決めますか?
と 問われているのが今回で
問いの言葉は一緒だけれど
視点角度はまったく別のもの
そんな問いが
その人に合ったカタチで
投げかけられているのが
いま かもしれません
それに正誤も善悪もなく
どう答えようとも答えずとも
それでよく
ただ
その 問い じたいが
じぶん の深いところのナニカに
びよよーんと響きが訪れて
何らかの共振がおこるような
そんな感じです
雲の行進は愉し気で
そして
とても はやいです
季節が 変わります
ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。