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自由さ がひろがって

今朝外へ出たら「自由さ」がひろがっている空だった。空全部ではないけれど、「自由さ」の風が踊るように吹き抜けている。

「自由」ではなく「自由さ」。
何をやってもいいとか何でも出来るとかそういった意味合いではなく、自分で自分を選べる自由さ。
その瞬間瞬間、どんな気持ちの自分で在りたいか。その日とかではなく、その「瞬間」。
目の前の出来事に対して、どんな自分で接したいかを選択できる自由さ。

今までの重さの中では、何をやるにしても無意識にそれまでの経験や習慣を反復して行動してた。それが軽くなってきてることで行動起こす前の一瞬に「ん?今日はこうしてみようかな」とか「あ、こっちにしてみてもいいかも」とか、今まで通りでない選択幅が思い付いてやってみたくなったり。
「当たり前の壁」が薄くなってきたとでも言うのかしらん。無意識レベルで。そういう感覚みたいなのが増えてくるんじゃないかな。自然な形で浸透していくから、本人気付かないうちに何かちょっと変わってたとか。

気付かないレベルのもそうだけれど、私がもっといいなーと感じたのは、自分が何かやろうとする時に、その瞬間自分の気持ちのあり方を選べるスキマが出来たような感覚。
うーん、なんて言えばいいのかな。これまではぎゅうぎゅうで、みんなそれすら思い付く余地がなかったの。それが当たり前だから不思議にも思わない。
でもこの緩みというかスキマというか全体のそんなものが、フッというほんの一瞬「違う見方の可能性」をよぎらせてくれる。
その"瞬間"に気付いたとき、立ち止まることが出来る。そして次の行動を「どういう自分でやりたいか」を選ぶことが出来る。

例えば何かに怒りがわくパターンを見たとき。それまではそのまま怒りに突っ走ってたけど、心のどこかで「もう少し冷静にしたい」とか思ってたとしたら、その心の本音の方がピョコンと一瞬出やすくなって、初めの一歩を思い止まり「今じゃなくてもいいや」となってもう少しクールダウンしてから改めて見たら大したことなかったとか。それがナチュラルに意識せずともそうなっていくみたいな。

ああ、ジブンの本音にアクセスしやすくなるとも言えるのかな。
今まで後になっては思えてもその瞬間は出てきにくかった(出てはいるのだけど感じにくかった)本当の気持ちみたいなのが、その場で感じやすくなるのか。
で、それを「選べる」。
そこで「いや、今までこうだったから」となればそれをやるだろうし、もうそのやり方やめて瞬間顔を出した本音のほうをやってみようとなれば、また別の世界がひろがるだろうし。
そういう「自由さ」。どちらを選んでも間違えではないし、善し悪しもないけど。

何か大きな事とかそういうものでなくても、日常生活レベルでこれが浸透していくから、いつもやってるほんの些細なことでもこの「自由さ」でちょこちょこ変わっていったり。

で、これを意思を持って選択するようになれば、その出来事はもっと動く。意識を向けたもののエネルギーは拡大するから、一瞬立ち止まって「今まではこうしてたけど、いまのジブンにはこっちが合ってるからこうする」とちゃんと認識して感じたほうが、選んだほうへの変化は大きい。要は、その時のジブンに合った方へのチェンジが早い。

人に言われたりなにかで「ああ、ホントは自分はそう思ってたのか」と気付くことはあっても、なかなかジブンの本音はちゃんと耳を澄まさないと日常レベル(生活している中)ではわかりにくいけど、少しずつそれもほどけて自分でジブンに気付ける瞬間が普通の日常の中で増えるのかもしれないなあ。

自分の内面を整えるとか精神的な事とかそういったのに全く興味ない人たちも、ちゃんとそれぞれ合った形で整っていく。別にそういったものが偉いわけでも優れてるわけでもなんでもないし。そんなの知らなくたって素敵な人はたくさんいる。気が付いても気が付かなくても、その人に合ったタイミングで方法でモノゴトはちゃんと展開していく。


それぞれ興味がある事でジブンの本音に気付きやすくなっていく。
ちゃんとそうなっている。
すごいなあ。

大いなる全体がそうなっているのだから、自分はチカラ抜いてその時その時その瞬間瞬間を「いま」に在るようにだけしてればいい。

ギフトは「いま」にしか届かないのだから。


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