ステキな在り方に触れられて piece_vol.62
先日お逢いしたかった方とお逢いできる機会に恵まれた。ハジメマシテでお逢いしたかった方だったので妙なテンションになってしまい我ながら笑う。
ほんの数時間だったけれどとても素敵な時間で、ああやっぱり人と直接会うのっていいなーと改めて感じる。毎日職場で沢山の人と会ってはいるけれど、それはお仕事モードの人達との交流で、プライベートモードとはまた違う。何の肩書きもなく、単に人と人というポジションでお話し出来たりするのは楽しい。
ネットで画面越しにお話しするのも楽しいけれど、やはり同じ場にいて直接対面するのは何か違う。温度感と言うか空気感というか。同じ場に居るからこそ共有出来るナニカがあるようにも感じる。
今朝の空は静かに見守りながら応援してくれてるようなそんな感じの青空で、安心感が広がっていた。「みんなちょっとキツイかもしれないけど頑張れよ~、ちゃんと応援してるぞ~」とでも言ってるかのようなそんな感じ。
そう、次から次へと変化を促すパワフルな流れが来ていて、人によってはお疲れサンになってるだろうなーと思う。変化を促すと言うか、今まで見えにくかった自分の中のものが見えやすくなってきていると言うことなのだけど、お疲れサンになってる人は、多分見たくなかったものが見えてきてしまったりしてるんだろうなあと。見なかったフリして大事にしまいこんどいたものとか、こんなの自分の中にあったのかというのが現れてみたり。
どちらにせよ「まだいる?」と浮かんで来てくれたものだから自分で要るか要らないか決めちゃえばいいのだけど、ここでまたジタバタして蓋閉めようとかすると、ちょっとその後大変かなーと思ったりするのであまりオススメはしない。せっかくのタイミング、もうお掃除しちゃった方がラク。
そんなこと言ってる私も、ハジメマシテのお逢いできる機会に、こうだったらどうしようとか、ここ暫くトンとお見かけしてなかった感情やらがワンサカ湧いてきて埋もれてみた。
何しろお逢いできる事が嬉しい過ぎて、嬉しいがゆえに生まれる「どうしよう」なんて記憶にないくらい湧いてなかったもんだから、制御もへったくれもありゃしない。遠足前日の小学生かっ!と思いつつも暴走してる思考を眺めてた。
普段はマイナスやヨロシクナイと感じてるものに先に目が行くから、そちらの思考や思い込みのお掃除が先になる。
けど、実際は嬉しいとか幸せとかそういったやつにも色々引っ付いているもんで、今回のように 嬉しいがゆえに→こうなったらどうしよう とか、普段考えもしない「もしも」が現れたりする。嬉しいんだから、嬉しさに浸ってればいいのにさ、それ壊したくないもんだから「こうなったら」とか思考が本領発揮でフル回転してくれる。「幸せすぎてこわい」とかもこれに当たるのかな。
まーここ暫くのお篭り生活があったからこそ湧いてきた感情かも知れないね。
でもこれも要らんものには変わりないからポイポイ捨てる。嬉しいとか楽しいとかトンと味わうけど、そこから古い思考の使い方が出てきたりしたら、もう要らない。
楽しいなら、楽しい!でオシマイ。嬉しいなら、嬉しい!でオシマイ。「でも」も「だけど」も「もしかしたら」も要らない。
お逢いできる迄のちょっとしたドタバタも、この隠れキャラを浮き上がらせるものだったのかもしれないなと思うとありがたく感じる。
好きなものや大事にしたいものは、その気持ちが故に執着とも呼べる感情も湧きやすくなるから。「好き」や「大事」はそのままで、付随する古い重いものは手放す。ぽいっ!
そうすると、「好き」は好きなまま、そのまんまでよろしくて、「大事」は大事なまんま、そのままそれだけでよろしくなり軽くなる。
お逢いして幸せな時間を過ごさせてもらって。
なんで私はこの人にお逢いしたかったんだろうと思ってたけど、実際お逢いしたらなんとなく分かった。
裏表がなく、言葉に偽りがなく、そのままで生きておられる方だった。自分を否定することもなく、他人をジャッジすることもなく、すべてを受け止めて、それが自然体で存在されていた。多分ご本人はそんな事考えてやっている訳ではなく、元々のご性質なのか何なのかは分からないけれど。
そういう方と一緒に居ると、自分も素になれる。構える必要がないから。いつの間にか素の自分になっている。全く防御してない人に鎧兜着けて挑む必要はなく、あれこれ参画する必要も駆け引きする必要もない。例えが失礼かもだけど、キャッキャと笑っている赤ちゃんに構える必要はないように。自然とほころび笑みが出てくるように。
もう誰に対しても素で接してることが殆どになってきてはいるけれど、それでもこの方とお逢いしてた時の安心感。すごいなあ。素敵だなあ。特別なこと話したりしたわけではないのだけど、何だか特別な時間をプレゼントされた気持ち。
きっとね、これってこれから増えてくると思うんだ。みんながそうなってくるから。
聖人とか飛び抜けた人とかそんなのではなくて、みんなが素でそのまんまで、ジブンという個性はちゃんと持ってるけどジブン以外も否定せず受け入れて、どちらもその場にいて安心してられる、そんな感じ。それがみなナチュラルにそうなっていって、お互い構える必要も攻める必要もない、違いを認めあいながらの共振。
この方のような人がポンポンとあっちこっちに点在してたら、その周りは自然と素のジブンに戻れちゃうから、その人達がまたどこかで点在してってなって行ったら、あららという間に自然体が広まっちゃうね。ステキなことね。
こういう素敵な方とお逢いできる、繋がれるようになったジブンが嬉しいし、お逢いできてこう感じられるジブンが嬉しい。だって自分の中にないものは現れないから、お逢いできたということは自分の中にもそんなカケラがあるってことだから。お逢いするまでいかなくても、この人素敵だなあーと感じたならそれに反応したナニカは自分の中にあるってことだから。
この方のように在りたいなと思う。
周りの誰かのためとかでなく、そう在れたらジブンが楽しいし嬉しいから。
あー
幸せで愉しいひと時だった!
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