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カワもカラも

味覚の秋が始まり「なに食べても美味しーっ!」と相変わらず食べることに頭をフル活動させてる今日この頃。
果物も何かしらは家に有るようにしているので、何かしらは毎日食べてる。
ミカンを剥きながらフト思う。

野菜とか果物って、ホントよくできてるよなー。

ミカンを剥くと白いスジが引っ付いてる。
ピカピカに全部取らなくても良いけど、口当たり悪いから少しは取る。
取るのメンドクサイなーと思うのだけど、1つづつ取りながら、皮と実を繋ぎ何かしらをそれぞれに送ってるのかしらとか考える。
じゃあコイツがなきゃ実への栄養補給はされんのか。いや、よくは知らないけど。
でもこの白いスジが無くて、皮剥くとつるっつるのミカンの実を想像してもなんだかなーと思う。だいいち皮と実に隙間が出来ちゃうじゃん。

懲りずにバナナ食べながらもそんな事フト思う。バナナのスジ。こいつも口当たり悪いので私は取るのだけど、いや、コイツいなきゃ実は美味しくならないんじゃないのもしかして?とか思いながらモグモグする。

とか思ってたら、そういえば食べ物でも植物でも、皮なり殻なり結構な確率であるよなぁとか考える。すっぽんぽんはあまり見たことがない。

まあ初めから皮や殻があった訳ではなく、外側が変化してそう呼ばれてるだけなのだけど、でも結局外側と言うか回りが固くなるのよね。中身よりも。
まわりが固くなって、その中のやわらかな部分はそれに守られて美味しくなったり熟成していくのよね。それってまわりが固くならないとそうならんのよね。

お米なんて、稲穂から考えたら米粒に辿り着くまでに幾重ものガードされてて。
栗とかクルミとか皮硬いしなー。

なんか知らんけど、全部皮なり殻なりあるじゃん。それなきゃ中身が育たないし。
取りあえずまわりを一回は固めなきゃダメなのかあ。それが自然なんだね、きっと。

固くするのは中身が変化しやすくなるためで。美味しく変身するためで。それぞれが持つ特性が熟すのを守り待つためで。
中身のよきタイミングが来たら、自然に回りの殻はパカッて割れたり、大元の樹からピューンと落ちたり。鳥なり人なり風なり他のナニカによって然るべき場所に運ばれるようになってて。

そっか、だからニンゲンも一回は殻を固めるのか。中身を熟成させるために。より美味しくなるために。本来の特性を育てるために。
そしてそれぞれのタイミングが訪れたら、ちゃんと殻は割れるようになってるんだなー。
すごいなぁ。

皮や殻を作るにも、色んな栄養分は必要だもんね。「栄養分」て言うと ゛良いもの ゛ってイメージ強いけど、全部が栄養分だもんね。
これから殻作るって時に中身の特性なんてまだ分からないし、その時その場の環境全てが栄養分なんだろうね、きっと。

だってもし本当に必要ない栄養分しかない環境だったら、そもそもそこにいないもんね。
そこに在るってことは、存在してるってことは、もうまわりの全ての栄養分から本当は守られてるのかもしれないね。

なーんか、殻とか囲いとかあまりよくないイメージ持ちそうだけど、そうでもないなぁと思ったりする。
それがあることで守られ、いまがある。
うすかわ何枚も、じゃないけど中がそのタイミング来たらまわりの皮や殻は無くなって行くんだろ。
勝手に無くならないとしても「殻にたどり着く」にはなるんだろ。その存在を知るんだろ。
そうなったって事は、中身が成長したからで。
窮屈になったから、皮や殻は外しちゃう。
そんな感じなのかな。

で。

皮や殻を外しちゃったら、外気に触れて守ってくれるものが失くなって腐るのではなくて。
そうではなくて

世界が一気にひろがる。
「殻のなか」が全てだと思ってたものが、そうでなかったことを知る。
殻の中は熟成するためのものだったと知る。
殻から出た時は既に特性の形ができてる。
いつのまにか。
だから出たから腐るのではなく、出たことでその芳香が彼方まで届く。

皮や殻と思っていたものは、内側と外側両方からの何らかのハカライで出来上がっていく。
なら、その境目はどこにあるのだろう。
ミカンの皮を剥いたとき、剥きおえた皮はもうミカンではないのだろうか。
間をとりもっていた白いスジはミカンではないのだろうか。
白いスジ付きの実を食べたとき、ミカンじゃないものを食べてるのだろうか。
さっきまでひとつのミカンだったのに。


取りあえずは皮があることで美味しくなった果物をまたパクリと口にいれて、「皮や殻っていいなー、ありがたや~」とかちょっと思いつつ秋味楽しみながらモグモグする。

美味しい も 愉しい。

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