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4がつもシマイらしく

気がついたら4月も終わりで。
まあなんと早いこと。月追うごとに早くなっているのではないのかしらと思ってしまう。
暦通り出勤の私はようやく気分がGWモードになりつつあり、かと言って何処かへ出掛けるでもなく、遠出出来ない人混みでご近所さんはまた賑わってしまうのかしらとちょっと憂いでみたりする。

4月はとにかく自分の中心に戻される月だった。外側の現実に右往左往しては、ハタと気がつき自分の中心からの観方を促されるの繰り返し。
中心にデンと構えていれば一番楽なのだけど、そりゃあ目の前であれこれ起こればそちらに引っ張られる訳で、ひゃーっとなって頭でこねくりまわし、疲れて気づいて中心に戻り、中心に落ち着くといとも簡単にコトが進むというのをずーっと見せられていた気がする。
頭でこねくりまわしている時の自分の感じとコトの動き。中心に戻ってそこに落ち着いている時の自分の感じとコトの動き。自分のなかの感覚の違い。不安や憔悴感の異なり。
その両側を観て体感することで深まっていく「いまの自分に合っているのはどちらか?」という感覚。

行ったり来たり、何も変わっていないようで、その振り幅は少しずつ小さくなり、自分の中心に戻れるのも早くなり、中心から観れるのも増えていく。
いや、もうどうせならずっと中心に居たいんですけどと思うけれどもシステム上そうはならず。だからこそ人間が面白いのだろうけれど。

これからは自分の中心からモノゴト進められる人が増えてきて。それは見方を変えて言えば、自分のウチなる自分、ハイヤーセルフとか本来の自分とか呼ばれるものと常にコンタクト取りながら日常を楽しむことが出来るようになる。
既にそう在る人も沢山おられるし、いまは自覚なくても、いつの間にかそちら方面向かうように出来ている。実際は誰でもちょいちょいそう在るのではあるけど、ちゃんと自覚する人が増えてくる。

これまでと何が違うかって、頭でこねくりまわして自力で何とかしようとしてる時の疲労感と展開の遅さが半端ない。
前まではそれが当たり前の世の中だったから何とも感じなかったけれども、こうも全体的に軽くなって来ると嫌でもその違いを体感するし、あまりに疲れてしまうので頭で考えるのがメンドクサクなってくる。

自力で何とかしようとして、ものごとコントロールしようとするなと、体感通して気づかされる。体感通さなくて知識として知っていても、それは結局頭のなかの出来事だから。

にしても、少々ハードだったなぁ。


自分 だと思っているこの感覚と
本来の自分 とか呼ばれるものと
全体とか源とか呼ばれる意識と

どの立ち位置で観て楽しんでいくかは人さまざまだし、どの視点から変容していくかはその人により全く違うのだろうけど、どんなカタチであれみんな同じものへ向かうようには出来ているようなので、これからやっぱり愉しくなるなあと思ってみたりする。

5月からは更にスピードが加速するらしい。
モノゴトデキゴトに善し悪しはないけれど、せっかくならば愉しく感じられるよう在りたいなと思う。

自然におまかせしながら。


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