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ポヨポヨそよそよ そして 問う

ものすごく久しぶりに地元のお店でランチ。以前は時々行ってたのだけど、最近は家飯にはまってるので外食どころかテイクアウトもめっきり減った。

自然食のランチは相変わらず美味しく、ご機嫌さんでゆっくり食べていたのだけど、もう少しで食べ終わる頃入ってきたお客さんの香水の匂いにあちゃーとなってしまい、一気にダウン。
元々匂いに敏感なのだけど最近更に感じるようになり、特に香水はキビシイ。味も香りも全部持ってかれ、鼻を押さえながら食べてた。うーん、あと少しだったのにな。ザンネン!食事中だけはマスクも外してるから匂いから逃れようがない。こういうのが重なると、どこかに入って食べるのがますます遠退く。

そんな敏感あるあるのせいもあるけど、家飯増えてきたのは外であまり食べたいと思うものがなくなってきたせいもあるかなーと思う。
味覚や好みも変わってきてるみたいで、今まで美味しいと食べてた物がそうでもなくなってきたりしてる。その店でなきゃ、みたいなのもほぼなくなってきたから、結局自分で作るご飯が一番美味しく感じる。別段たいしたもの作るわけでもないのだけど、好みの加減に炊いたご飯、好きなお味噌で作るお味噌汁、その時々の旬のお野菜が入った何かでもあれば大満足になってしまう。
もちろんなーんも作りたくない時なんかはお惣菜買ったりもして、何がなんでも作らなきゃみたいなのはないけど、結局自分で作ったのが今は美味しく感じられるから、料理という作業自体が楽しい。

以前実験的にグルテン・乳製品・砂糖・添加物・化学調味料なしの食生活を試みた時、外での食事はかなり難しい(というかほぼ無理)と分かり自炊のみでやってたことがあったけれど、あの時は「やらなきゃいけない」的な考えがあったから料理も結構苦痛だった。
でも今は楽しくてやってるので、やっぱり気の持ちようでいかようにも変わるもんだなーと実感してる。


ランチ帰りにまた近くの神社へ。
先日寄らせて貰ったときは「鎮まり」だったけれど今日はどうなのかしらん。

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お空はドンヨリだけど空気は軽い。

お。開いてる~と言うかつぼんでない。
さてさてどんな感じかな。うーん。

あら素敵。くるまれた慈しみが充満してる。
ぶわーっと出てるわけでなく、ものすごーく薄い柔らかな真綿のようなベールにくるまれた"慈しみ"が、そのベールの隙間からそよそよ出ている感じ。そしてそれは地に近づくにつれ濃厚で大地いっぱいに広がっていて、グラデーションのように上にいくにつれ薄くなる慈しみがポヨポヨ飛び出して空を舞う。
樹木から建物から小川から植物から、あらゆるものから慈しみがポヨポヨそよそよ。
そびえ立つ樹々からは静かな微笑みとあたたかな見守り。鎮まりで地に落ち着き蓄えられ醸されたそれまでのことが、いまゆっくりと熟されるのを待っているような穏やかな待ち時間。そしてそれらには慈しみが充ちみちている。
はぁ~。なんて心地よいんだろ。


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私が密かに「ここだけジブリ」と呼んでる裏側スポット覗いてワハハとなり。

裏手の樹々にさわらせて貰いリセットしていただく。
「宇宙・繋がり・根本・いちなるもの・すべて」今日飛んできたのはこんな言葉だった。
確か前回は喜び・拡がり・安定・JOY・予見だった気がするけど忘れちゃった。無音のときもあるし、暖かな感覚だけの時もあるし、言葉が飛んでくるときもある。いつも単語だけ届けてくれるのは社殿に一番近い数本の樹。

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去年辺りからずっと自分の在り方を問われてる。
外側で何か出来事が起こるたび「さて、ワタシはどう在りたいんだ?」と問うてる。
初めはどう在りたいんだろ?と全くわからなかったそれが問うたび少しずつ余計なものが剥がれカタチを現してくる。
何のキッカケだったかは忘れてしまったけれど、ある時ワタシがありたい在り方が姿を現し、それからはそこだけは変わらない。
その後も何か起こるたび問われる。「ほんとにそれでいいのか」と。また問うて問うて、それでもやはりそこだけは変わらない。
先月強制終了的な出来事があり大きく揺さぶられまた問われる。
「ほんとにそれで変わりはないのかな?」
揺さぶりの中であっちウロウロこっちウロウロしながらまた問う。それでもやっぱりそこだけは変わらない。


空(クウ)から観たら全部がストーリー。
でも色(シキ)で「生きている」。
自分が色で生きていると思っている以上、じゃあそこでどう在りたいか。色の中で訳もわからずさまよい流されてありたいか。

空とはなにか、色とはなにか、空と色とはなにか、その知識は触れていてもいいのかもしれない。触れたら持ち運ばないで忘れてしまう。忘れても触れた知識は「点」となってどこかに漂っている。点と点が何かの拍子に線となり「あ!」となったりする。自分の中に無いものは現れようがないから、色の世界で「あ!」となるには点もありきかなーと思ったりしてる。
「あ!」と腹落ちが重なれば余計なものも削がれてくる。そうやって何か特別なことじゃなくても、少しずつ少しずつ浸透していく。

点は無数に無限にある。
線への変化も無数に無限にある。

でもその線を紡いでいったとき
点すらでなかったと
なるのかもしれない。

それを知れる
自分はいない

そしてまた

色の世界へ

この摩訶不思議


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