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モト からは ヨロコビ

珍しくいつもより早く目覚めて「これなら観れるかもしれない!」と顔も洗わず朝散歩へ。

部屋から遠くの建物に朝陽が当たってピンク色に輝くのをいつも見ていて、「建物たちを輝かせてる朝陽はどんななんだろうー」と思っていて。

いつもお散歩はその時々の気の向くままだけど、この時ばかりは高台へ一目散。

着いた頃にはちょうど昇り始めていて

あっという間にお顔を出した


立ち止まってふわぁぁ~となり、全身で朝陽を浴びる。

そうか、あなたがいつも輝かせていたのか。

部屋から観るのはピンク紫が多いけれど、その時のわたしの周りは全てが黄金色こがねいろに輝いていた。

きれいだなぁー

分かっちゃいるけど。
直接観る太陽は金色で。
反射で観る色は違うのよね。

反射で観える色も美しいけど
やっぱりモトは
ウツシとは比べものにならない

それを

確認したかったのかもしれない


図書館予約本の受取期限日になっちゃったある日、暑くなる前の早い時間に行こうと思いつつも気乗りがせず結局夕方に。出る直前に一番読みたかった本が入ったと図書館からメールが。
あら良かったわ~一回で済んじゃった。

久々の夕暮れ時のお出掛けで、日が沈んで風あれば結構涼しいんだなぁと感じてみたり。
翌日定休のいつもの八百屋さんでは叩き売り始まってたからお野菜買っちゃったり。

"気乗りしない~"が、結局「よかったなぁ」に変わっちゃう。昇り始めの朝陽に間に合ったのもそうだけど、その時々の自分の感覚でいた方が、やっぱりいちばんスムーズでありがたいんだよなぁといつも感じる。

図書館前には短冊いっぱいの笹が飾られていて、それ見て「そっか、七夕なのか~」と思い出した。最近はまーったくそういったイベントに関心なくなっちゃって来てるみたいね。
でも小さなお子さんいるお家とかは、そういったイベントも楽しいからまたよろし。


無意識にいつの間にか思考の世界に居たりします。今までの習慣だから仕方ない。

その身体の習慣を書き換えようとしているのがイマだから、気が付いたら真ん中戻って。

何回も何回も外側にはまるから
何回も何回も真ん中へ戻って

そうやってるうちに少しずつ
真ん中のトキが増えてきて深まってきて
真ん中の感覚で外側を観れる感覚も味わえて

そんな感じで
身体の習慣のようなものが
ゆっくり書き換えられていくようです

 


見えてる世界は
とても美しいのです


色んなカタチがあって
色んな彩りがあって

本当に美しいのです


でも

それをウツシ出している
モトの輝きは

言葉があてはまらない
ものなのです

昇りゆく
朝陽のように



そのモトなるものは

ヒトも含めた
あらゆるすべてのものに
内在していて

その
モトなるものから
個のようなものを現すとき

それは

ヨロコビです


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