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やすらかさで満たすとき

もしも
外側で起きているタタカイがいやならば

自分のなかにある
タタカイをやめてみる

これが本当は好きなんだけど
でも合わないと言われるかもしれない

こうした方がいいかなと思うけど
周りと離れちゃうからやめておこう

こうしなきゃと思っていたのに
また出来なかったな

これら 自分のなかのタタカイ が
あるということを先ず認めて
それをどうこうしようと言うのでなく
こんなタタカイしてたんだ と
気づいてみる



それが落ち着いたならば
そこから何が観えるのか

ほんとうのじぶん は
何を感じていたのか したかったのか

それらを するしない もいいけれど
そういうじぶんが居たことを
見つけてあげて
それもいいんじゃない と
可でもなく否でもなく

そうやって
じぶんのなかが穏やかになっていくと
その 小さな穏やかさ は
ちゃーんと何らかのカタチで
まわりに どこかに 飛んでいく


外側でタタカイを止めないと
と思うのもよいけれど

外側が内側の鏡ならば
観なければいけないのは
内側であり
形は全く異なるけれど
「あなたの内側にこれありますよ」
と お知らせしてくれてるのが
外側の出来事

なれば

じぶんというものの
穏やかさ や 平安 安堵
安らかさ 和やかさ が
大切で

じぶんをそれで満たしてあげる
ということが
どういうことなのか



今までと同じ思考パターンを使って
先へは進めないみたい
その旧システム手放してね と
沢山のアプローチ

これが残せて これが要らない
ではなくて
ぜーんぶ根底からそもそもねーと

だから今
さまざまな 今まで の
洗い出しや あぶりだしとが
行われていて
さまざまな うながし が
訪れている


あのとき分からなかったあれも
ああ そうだったのか と
思考理屈なく そうなって

そして 消えていく

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。