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色世界の遊び方がかわるとき piece_vol.90

暑くて何がいいって、メチャクチャ汗をかく!いや~真夏日続きになってから、新陳代謝の良いことったら!膝の水は溜まりにくくなってるし、水も沢山飲むから身体も軽い。

もちろん日中エアコンかけて暑さ対策はしてるけれども、朝散歩でまず汗かくし、エアコンかける前までにお掃除やらやる間にも汗かくし。料理するのに火を使えば汗かくし~。

2日ぶりくらいに湯船に入って。ついシャワーで済ませてしまったりしてたのだけれど、やっぱり湯船につかるのは気持ちいいなー。身体全身を水がくるんでくれるから、ふわーっと何か抜ける気がする。シャワーは流す感じでこれも良いのだけど、全身の力が抜けてリラックス出来るのはやっぱり湯船だなぁーとか改めて実感してみたりして。

朝散歩始めて一週間くらい経つのだけれど、身体が軽くなってきたのを感じる。汗かくのもあるのかもしれないけれど、「歩く」というのが楽になって来てるのが不思議。歩いてる時の身体の中心軸も真ん中になるようなってきたし(以前は左寄り)、何がどうして良いのかは分からないけど、今の私の身体には合ってるみたいね。

どれもこれも「暑すぎて日中お外出るのはキケンかも~」とか思ったのがきっかけで、この暑さのお陰。料理もいかに火を使わずに済ませるか?と工夫してみたり、日々の生活に変化が出て楽しいー。全くもって何が幸いするかはわからないなあ。



先日外気体感温度とやらが38℃と出てる時に、所用で外に出てみて。自我サンは「何もこんな暑い時間に出ることないじゃない!夕方にすれば?」とか言ってるのだけど、私の遊びゴコロは「高熱時と同じ気温ってどんな感じなんだろ~」と喜んでしまっている。アホだなー。

お水さん持って帽子かぶって歩き出す。タン・タン・タンと「歩く」に慣れて来たころ、「ふっ」と"暑さ"と一緒になってみる。暑さに溶け込む感じ。身体はそのまま一定のリズムで歩いていて、歩いてるのは分かっているけど意識だけ場の暑さに溶け込む。

ああ、むわぁんとした空気ってこんな感じなのね。もわもわむわむわしてる感じ。それと一緒になると、確かに身体は暑さを感じてはいるのだけれど、何と言うか細胞は喜んでる感じ。歩くのもとても軽やかになるから面白い。

湯船に入ったら、水(お湯)と一緒になってみる。
樹がざわめいたら、その葉のざわめきと一緒になってみる。

日々のどこでも出来るこんな遊びも楽しい。



くうありきでしきの日常をどう楽しむか。

何だかんだ言ったってこの身体使って生きてる以上、自我もあり思考もあり変わらぬ日常もあります。でも自我や思考に巻き込まれにくく生きることは出来るわけで、光をみたからってずーっとそこにいてこの地球上で身体使って生きてる人なんていないわけです。

この身体じたいが、個性のようなそんなシステムになっているから。
そしてその身体を使うことが、この地球上で遊ぶルールだから。

もう気付き始めてる人はいっぱいいるわけです。なら、どうやって進化中のこの身体システムを使って日常を楽しく生きるか?にこれから焦点が向かっていくのかもしれません。

ただし、いわゆる「自我意識の自分」が「現象世界をよりよくしようとして」というものではない視点ですが。

「いやー、でも起こることが起こってるんだから、それでいいんじゃない?」てのもアリですし、「自我って分かっていても、現象が良くなれば取り敢えずはいいかなぁ」ってのもアリです。その時それが本来のジブンが感じたベストならば、なんでもアリです。

でも一応付け加えると、それらを 思って いるのは「思考」です。

それすら起きている~とかなるともうややこしくなるので置いときますが、「色の世界で個の感覚がありながら生きている」という視点からは、いままでのクルシミやらの重かった時代は通り抜けていて、それらの重さを取っ払って、軽ーく、源からの直感らをベースに生きていけるようなそんな風がもう吹いています。

とは言え「はい、今日からそうなります!」ってな訳にはいかないわけで、身体の感覚を少しずつ変えていきながら馴染ませながら、今までの染み込んでる反応や習慣を薄めて切り替えながら、気が付いたら「あら?何か変わってる?」みたいな感じかもしれません。

「自我意識の自分」を緩めていく事に関しては色んな方々か発信されてますので、自分に合うのをやってみるのもいいのかもしれません。
知識で仕入れるのではなく、身体を使って実際やってみる、がポイントなんで、やってみて合わなければ止めればいいし、感覚もどんどん変わっていきますから、そしたらまたその時合うのをやってみればいいし。

正解はないですし、ある視点から言わせれば「それも”自分”がいるって事でしょ」となるでしょうし、言い出したらきりがないので、その時のジブンがぴん!ときたものや直感的なものがあれば、やってみればよいのではないのかなーと。



いまは中庸、真ん中、中立へ戻る流れが起きています。

今までたくさん辛い経験やシンドイ経験して来た人は、その逆の経験が待っているとも言えます。真ん中に戻るには、両方経験しなきゃですから。

自我意識の自分から離れる、サヨナラすると本気で腹をくくれば、そのような流れが起きてきます。

その本気で自分というものと向かい合うような後押しが来ているので、人により今がシンドイ場合もあるかもしれませんが、それはここで何度も言葉にしているように「そっちじゃないよー」という合図のようなものです。
必ず抜けられるから、大丈夫です。



大きなものが
ゾワゾワと動いているような
そんな感覚

まだまだ夏は
始まったばかりです

暑いときは あついなりに
涼しいときは すずしいなりに



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