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わたしで在る

この2極の世界で
身体という器を使い
いかに遊びきるか。


右と左、上と下、白と黒
それらの極の片寄りを拾い集め
この身体を通すことにより
縺れをゆるめ、ほどいてゆく。
どうやらそういったことが
コレは得意らしい。

ならばそれを使い
愉しく遊ぼう。


どちらでもなく、
どちらでもよいということ。
なんでもアリだということ。
2極の世界だけれども
どちらかに片寄る必要はなく
その上下左右のあらゆる点が
各々の個性であり
味わいであり
それを誰も批判する必要も
自ら蔑む必要も
誇る必要も
是非を問う必要も
一切合切まったく必要なく
それはそのままで
貴方はあなたのままで
私はわたしのままで
それでいいということ。

本当は奥深いところで皆知っている。
わかっている。

ただ
まわりのノイズや
培ってきたからと抱えているものやらで
見付け難くなっているならば
この空っぽを通すことで
自らと対話し自らで思い出す。

今はその変化の現れを感じるのが
何よりも愉しく嬉しく心地よい。

囲いや縛りや枷を投げ捨てながら
ただただ軽く
ふわりふわりと
流れに舞おう。
ゆらりゆらりと
委ねのなかに飛び込もう。

この現れが何かのきっかけになるように
あなたの現れもどこかのきっかけになる。
そうやって愉快が知らずに繋がってゆく。
文字や言葉で音で彩りで伝わらぬのならば
現れそのもので現そう。


さて 始まった。


この器シマイなるまで
なにが観れるか聴けるか感じられるか。
器なしではなせぬフィールド。
ココだからこそ出来る遊び。
「ああ、愉しかった」の瞬くトキまで。


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