見出し画像

そうなっている

出かけようと思ったら宅配届くの思い出し
今のステータスどこだろう
時間指定できるかなと
伝票番号確認して宅配サイトへ飛んだところで
ピンポーン!とチャイムが鳴って宅配業者が来た

はいはい そうね すごいのね
このタイミング
もうあまり驚かなくはなったけれど
あなた私の行動見てたんですかと言いたくなるくらい
justで現れるこのスバラシサ



年内に買っておきたい物とかあって
お店がバラバラだから日を分けてかな思っていたら
なんとなくあそこへ行こうと少し離れた町へ行ったら
欲しい物を売ってるお店がまとまっていて
そこでほぼ済んでしまってあらーとなる

しかも年末売り出しとか本日限定とかで
お安く手に入ってありがたい

もう私の日常の中で「計画性」というものは
影が薄くなっていて
予定を立ててそれにまつわる最低ラインの調べもの等の
やる事をやったら あとは放っておいて
その時の流れと何となくの感覚で動いている

でもそれの方がスムーズに流れるし自分もラクだから
それでいいやとなっている
そうすると宅配の時みたいにちゃーんと上手くなっている



以前はどこかへ出かけるにも調べに調べて
乗換案内で出てきたように時間どおりに
表示された電車に乗ってとかやっていたけれど
それは「ちゃんと着かなかったらどうしよう」という
不安から来るもので もう少し踏み込むと
「自分は方向音痴である」というのがあって
まぁー確かに方向感覚はあまりよろしくはないのだけれど
その「方向音痴だから」がストッパーになっていて
だからちゃんと着かないかも へ繋がってしまうという

更に踏み込むと その「方向音痴だから」には
自分なりの”そうであったほうがよさげ”感があって
ほどいて解いて解いたら 真面目さんに見られていたから
方向音痴である という”抜け感”が会話のクッションになったり
「わたしはこんなダメなとこあるんですよ」と言えるのが
嬉しかったらしい

なもんでこれの自我さんメリットは「ダメアピールできる」で
こうやって何てことない「不安」というものも
色んなものが絡んでいたりするからややこしい

そして ダメでありたい というものは
自分はダメではない とどこかで思っているわけで
強いては ダメであってはいけない と繋がっていく


いまはこういった深堀りみたいなものも
わざわざやらなくても手放しお掃除出来るから
「なーんか気になった」「自分のなかの違和感」
みたいなのでお掃除して
その時に 不意に「あ そうだったのか」と
絡んでいたものが分かったりすることがあるから
そうしたら それをちゃんと認識してあげれば
その層はクリアになるみたい

やがてそのうち 根本的な思い込みに辿り着くから
それも出て来てくれたらちゃんと認めて感謝して
そうやってどんどん軽くなっていく



世の中は
優しさであふれています

そうは思えないとしても

やはり優しいんだよなーと感じます

例えばちょっと端によけてくれるとか
声掛けしてくれるとか
相手がやりやすいようにしてくれるとか
よく見ないと気付かないくらいの
小さな優しさかもしれませんが
そんなものが あふれていると 思うのです



表立っていなくても
相手が気付いていなくても
その人から発せられた優しさは
大きく大きく広がっています

その場を 優しさ に変えています

見える見えない ではなくて
感じる感じない でもなくて

分かろうが分かるまいが
優しいもんは 優しいのです

その 優しい磁場 に触れた人が
またどこかでその優しさを広げて
そうやって連鎖して繋がって

気付いていても いなくても
ステキなせかい だったりします


さあ 明日は冬至
ゆっくり あたたかく
支えてくれている影の部分に感謝を

ありがとうございます。 お受けしたサポートのお気持ちは、この巡りのなかで循環させられるよう、ありがたく使わせて頂きます。感謝致します。