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弱依存症が語る、依存症についての徹底説明&解説

弱アルコール依存症です。今回書く記事内容を思いついたら、禁酒をすっと始められました。アルコール依存症やその予備軍に向けて、そして、もっと広範な依存症についての見解を書いておこうと思います。専門家ではない素人の聞きかじりの点、ご注意下さい。






依存症とは

例えば、アルコール依存症と聞くと、お酒好きなんだな。
いつの間にか自制できなくなって、飲みすぎるようになって。体を壊して。
最後は、生活を壊し周りにあたるようになるヤバイ奴のことだ。
そんな印象を持つ人もいると思いますが、実際は違います。


嫌なことやモヤモヤすることが生じた際に、その気分から脱却する手段として、不健康や不利益になると承知しているが、ブレーキの利きにくい特定の方法ゆえに、固執し繰り返してしまう事

自己定義



学術定義はあるのでしょうが、個人的には上記の定義を採用したいと思います。というのも依存症の特異性がわかりやすいからです。

1、自らが進んでその行為をしたがっているわけではない
2、不健康や不利益を承知していてもやめられない
3、ブレーキの利きにくい特定の方法である


つまりは、意志の力や単なる個人の問題ではない
ということです。その人が置かれた社会的状況によって、苛立ちや嫌な気分が生じる。発散する方法として、”それ(依存先)”が身近にあり採用されると、後はその方法のブレーキの利きにくさゆえに、泥沼に落ち込んでいくということです。

真面目な人程、依存症になりやすいというのも真なわけです。真面目な人程、こうあるべき!として、周囲や自分に対して要求が厳しくなりがちです。その結果、その理想から乖離している現実に対して許せない気持ち、嫌な気持ちを抱きやすいからです。






嫌な気持ちを抱くメカニズム

人間は3つの要素が満たされないと、幸福で安寧でいられません。

1、不安(身の安全)
2、欠乏感(成し遂げたい何かの達成、前進)
3、期待(自分の存在の肯定。自分の努力の肯定。居場所)


衣食住などが満たされないと不安で眠れなくなったり、ストレスで体調を崩します。不安が満たされていても、人生における自分の目標とかやりとげたいなにかの部分がうまくゆかず、前進していないと、人生に嫌気がさしてきます。また、あなたのおかげで助かった!とか、自分の今日の努力のおかげで、昨日より上手くいった!等の自分の存在を満たせる居場所がないと、自分の存在に嫌気がさしてきます。

現代社会では、衣食住の不安はほぼ根絶されました。しかし、誰かと付き合いたいとか。結婚したいとか。ラーメン屋を開業したいとか。○○を成し遂げたいとか。仕事で成功して認められたい等々の、2の欠乏感や、3の期待は満たされにくくなっています。

それは、現代社会は、高度で複雑で階層の固定化連鎖化(富める者はさらに富、貧しいものはより貧しく)が進んでいるからです。誰もが、夢見る何かを0から手に入れるには、途方もない努力や能力や資本が必要なハードルの高いものになったということです。なので、だれもかれも人生に自分にうんざりしやすい世の中です。依存症の第一歩の嫌気はそこかしこに蔓延しています。しかし、だれもかれも依存症になるわけではありません。依存症になるには最低3条件が重なる必要があると思います。





依存症の3条件

1、ブレーキの利きにくい領域であること
2、脳の快楽反応強度と、身体機能の組み合わせが良い事
3、その方法を選ぶしかない(選びがちな)状況に置かれていること

ブレーキの利きにくい領域について説明します。具体例は後述します。上で上げた人間の幸福や嫌気のメカニズムは、本来は我々を幸福に導くための生理機能です。

大昔。今日は少し新しいことをしてみたらいつもより多く獲物がとれた!俺最高!俺スゲー!(ドーパミンやら快楽物質がドバドバ。興奮して心地よい。)よし。次もなにか工夫してみよう!(次もドーパミンを期待する)こうして前向きの力学を生み出し、人々の発見や工夫や成長を促してきました。

しかし、当然自然界ならばそう毎度毎度上手くいくわけもなく、程々に成功と失敗を繰り返しては、いい塩梅に、脳内快楽物質にブレーキをかけてきたわけです。他にも、不安(飢餓や寝不足等)から逃れられたら、安心や満足の快楽物質がでて、行動の方向性を教えてくれました。しかし、食べてばかり寝てばかりでは生きていけないので、程よいところで満腹感とか良く寝た感のブレーキが備わっているわけです。

一方、現代社会は様変わりしました。科学技術の発展により、相手や自然を必要としない擬似化の横行。また、科快楽物質そのものの精製抽出の横行。そして、資本、富の蓄積による、格差での人間の支配搾取。

つまり、本当ならば、自分の努力や工夫や、身体からくる信号に応えることで自然といい塩梅で調整され、良いバランスだったもの。それが無視され、自然とか相手とか自分の全てを不要にして、脳が喜ぶものをストレートに際限なく脳に届けられるようになったということです。

自然状態ならば、こんなに快楽物質がでないのが当たり前なので、身体的にそれに対するブレーキはありません。脳にしてみれば、毎日獲物を上手に狩れている、俺の工夫スゲー!状態が続いてしまっていると言えます。このままその工夫や方法を続けるべき!と誤った信号を送り続け、それに流されてしまうわけです。これが依存の道の第一歩です。





6大依存症

・食事(高カロリーと辛いもの)
・酒、たばこ、薬物
・ギャンブル
・女遊びや性的コンテンツ漁り
・ゲーム
・消費行動群(コンプリート、推し活)


具体的にブレーキの利きにくい領域は上記の通りです。不安や欠乏感や期待を疑似的に満たしやすい領域や方法ともいえます。

例えば、食事では、G系ラーメンや甘いものが分かりやすいでしょう。高カロリーに脳が喜んでいるわけです。むしろ高カロリー過ぎるのに、そう感じさせない調理法に拘り、いかに高カロリーと感じさせないかを競っているかとすらと疑わしく思います。ニンニクや強い塩味で油をより飲みやすく味付けをしている。あるいはタピオカミルクみたいな、冷たくすることや甘くない実を混ぜることで本当の糖分を感じにくくさせているわけです。

ギャンブルも同様です。本当ならば誰がやっても同じはずなのに、自分が選んだ機械。自分のタイミングで押した。自分の技術介入要素がある。そして、成功と失敗が程よく分散することで、”今日のそういう工夫”が良かったと誤認させ、かった時に快楽物質がでるようになっています。本当にやっていることは、機械の前でボタンを押すみたいな単純動作でしかないのに、今日は巨大なマンモスを狩った!と、同じぐらいの達成感を感じてしまうわけです。

酒、たばこ、薬物は、シンプルですね。脳に直接物質をお届けします。

女遊びや性的コンテンツ巡りも同様です。マンモスを狩るのと同じぐらい、子孫を残すという女を狩る行為に関しても、成功すれば脳内物質がドバドバでるわけです。ナンパや女遊びで女性と行為に至るということでも脳内物質がでますし。疑似的な性的コンテンツでも、頭の中では女を狩れたと誤認して、喜んで快楽物質がドバドバでているわけです。沢山の女を孕ませた方が良いわけで、これもブレーキは効きにくいものです。

ゲームもわかりやすいですね。ゲームのキャラに自分を投影し、ゲームのキャラの成長=自分の成長=欠乏感や期待の充足と誤認して、ゲームをやり続けます。課金ゲーはこの辺の脳作用を巧みに利用して、金を巻き上げています。

最後は消費行動群であり、その中でも、コンプリートと推し活的行動が依存よりだと思います。前者は、ブランド品や何かを集める行為であり、収集するための能力や費用はかかりますが、真にやっていることは、単純作業や購入とそれだけです。しかし、全部集めたという達成感でその事実はかき消され、脳は大喜びします。あるいは、高いもの(ブランド品)を購入する、それだけなのに、高いとされるものが自分の持ち物に加わった、増えたという感覚も脳を誤認させます。買い物依存ですね。推し活も、ゲームに近く、疑似的に誰彼の成長を自分の喜びや、自分のおかげで成長したと誤認することで、期待を満たして脳が誤認します。真には、お金が右から左に流れただけです。






依存症になる2条件目

人間には様々な種類や価値観や考え方の人間がいます。生理的なメカニズムも若干違います。食欲と性欲で人により強さが違ったりするわけです。ここで、6大依存症への脳の反応強度と、その人の身体的機能との組み合わせという概念(先の依存症第2条件)がでてきます。

例えば、食事を食べるとすごく快楽物質がでやすい人は、食事依存になりやすい傾向にあります。しかし、胃腸が弱い。そもそも食べられないという場合には、その行動を繰り返すことができずに、依存になる前に終わります。

あるいは、女遊びですごく快楽物質がでやすい人は、女遊び依存になりやすい傾向にあります。しかし、凄くブサイクで全然相手にされないとなれば、その行動を繰り返すことができずに、依存になる前に終わります。

つまり、その人の脳の反応強度と、身体の組み合わせが悪い意味で噛みあうと、依存の次のステップに進んでしまうわけです。他のゲームやお酒やたばこの具体例でもすべてそうです。欲しい!に加えて、それをできてしまう!が重なると、ということてす。






依存症になる3条件目

その人の置かれている状況においてそれしか選べない、選びにくいといった、その行動が最適?になってしまう場合、その行動に流れ着き依存に陥ります。

例えば、子供が親から四六時中勉強を強いられ、寄り道や家での息抜きも管理されてできない場合。子供は通学中のすきま時間でなんとか息抜きをしようとします。スマホゲームをしたり、誰かと愚痴を言い合うかもしれません。しかし、スマホも禁止されているとすれば、ストレス発散の選択肢は減り、お店や町中での、器物破損ゲームや万引きゲームに陥るかもしれません。

あるいは、小さい赤ちゃんがいてストレスはかかるのに、赤ちゃんから目が離せないために外出や気晴らしが容易にできない。すると、世話しながらでもできる依存行為として、お酒を常備しはじめ、アルコール依存になりながら、世話をするかもしれません。

その人の置かれた状況による制限制約によって自由がない。すると、その中でもできる一番安直な脳が喜ぶ依存行動を選択しやすいということです。私にはこれしかないんだから!とその方法に走らせます。





依存症の強化、泥沼化

依存が起こる要素や条件としては、上であげた通りです。次は、依存症の強化や進行していく”流れ”についても言及します。基本的には2本柱です。

1、常習化や常態化
2、枷の解放(友人知人の成功体験)


これまで説明した通り、嫌なことがある → 発散しようとする → 自分に合ったやり方を選ぶ。この流れで人は精神の安定を図ろうとします。依存症的な領域を選択してしまうかもしれません。

ある時、そのやり方が常習化します。人間は惰性やパターンで楽するのが大好きですから。嫌なことがあったに関係なく、なんとなく気持ちいから、ついついやってしまう。毎日やってしまうという風に、意志や決定に関係なく、だらだらなし崩しにやり続けてしまうようになります。

常習化の恐ろしいところは、嫌なことに関係なくというハードルの低下と、快楽物質への反応強度の低下を引き起こすことです。本来ならば、嫌なことがあった!!!の大きな気持ちが起点となっていたのに、なんとなく毎日やっているからという習慣が災いして、とりあえず、なにかあればそれをしとけばいいかとすぐにその行動を選びがちになります。また、脳の構造上、快楽物質への反応強度は徐々に弱まるので、同じだけの快楽を得るためには、その摂取量を増やす必要があり、常習化すると、いずれ右肩上がりに摂取量が増加していきます。より体に悪くなります。

次の柱に、枷の解放(友人知人らの成功体験)があります。薬は危ないとか。タバコはすっちゃいけないとか。オーバードーズはダメとか。万引きはダメとか。本来は様々な枷によって、自制して我々は依存症に手を出さないように生きています。しかし、ある時に、知人友人という近しい人からの成功体験を聞き、一見元気そうにしている相手を見ると、意外とやっても大丈夫なんだ!と誤認して、枷が外れてしまいます。そうすると、常習が常態(常に摂取)になったり。もっと強い依存物質に乗り換えたり。あの人が大丈夫なら、私も大丈夫な”はず”と都合のいいところだけを信じて、枷が外れてより依存症のレベルが進行します。悪い友達とは付き合うなという教えはこういうことなんでしょうね。






依存症と治療。避けて生きるには

避けていきる

同じことをしても依存症にならない人と、なる人がいます。これまでの説明の通りで、その人の脳的にあってるか。身体的にあっているか。他のやり方を選びにくい自由のない環境に置かれているか。これらをすべて満たすかの違いです。

しかし、そもそも最初から一度も手を出さなければ、知らないままでいれば絶対に安全です。怪しい投資話をからくりを知っていれば見抜けるように。マジックの種や詐偽の手口を知っていれば騙されないように。これまでの話をよく噛みしめて、誘いにホイホイのらないようにしましょう。1度だけなら、お試しに…が破滅の入り口です。


治療

原理を理解すれば、対処や対策もたてやすいです。まずは自分がどんなときにストレスを感じているのかを理解しましょう。

思ったほどストレスを感じていないのに、ついついそれをしてるという場合は、常習化してしまっているだけなので、依存物を手の届かないところに追いやるだけで簡単に解決すると思います。全部なおらなくても、総摂取量は本当にストレスを感じときだけに減ると思います。

次いで、依存先を変える方法もあります。脳の反応強度と身体の噛み合わせの話でのべたように、人によりもう少しましななにかがあったりします。タバコの代わりに、ガムやアメとか。お酒の代わりに炭酸水をのむ、チョコを食べるとかが分かりやすくよく聞く例です。同じような選びがちな方法の中でできる、代替物を見つける方法です。

次いで、今の状況だとこれしか方法はないという思い込みを捨てる方法もあります。お酒で体を壊すよりかはゲームの方がまだましかもしれません。買い物依存で金欠になるよりかは、際限のある食事でうさを晴らした方がいいかもしれません。生活スタイルの見直しや新しいことを始める億劫さはあるかもしれませんが、その状況でもできる他のストレス発散術を試してみるということです。

最後は、依存症は欠乏感と期待を擬似でみたす、満たそうとするものとのべました。裏を返せば、擬似ではなく本当の自分の夢にむかって進んだり、なにかを頑張って達成感をえることができれば、擬似のそれに依存する必要はなくなります。生産的な活動。なにかを作り上げていく活動。積み上がっていく趣味を見つけることです。




おわりに

グループセラピーみたいな話を、依存症界隈ではよく聞きます。同じ依存症患者らで話し合うことで、依存症が治りやすくなる的な話ですね。

これは、詳細は忘れましたがネズミの実験に由来しています。快楽物質漬けにされたネズミがだらだらと、その快楽水をのんで毎日生きている。あるとき、健康グループにそのネズミを混ぜる。しばらくすると、快楽物質入りの水ではなく、健康グループ同様に、普通の水をのむようになった。健康になった的な実験です。

グループセラピー?は効果はあると思うのですが、これまで説明した理屈を微妙になぞっているだけな気がします。

同じ依存症患者同士なので親近感が湧く。親近感がわくから、その人らがうまくいった方法を真似して取り入れやすい。たまたまそれが自分にも合う。依存症治療の仲間として互いに頑張りを認め合うことで、期待が満たされる。そんな感じな気がします。

最後に。素人の聞きかじりですが、本当の依存症との向き合いは、今回かいた理屈を自分でしっかり自覚することからはじまるとおもいます。治療のところでもかきましたが、最終的には擬似ではなく、本当の自分の生産的行動で欠乏と期待を満たせるようになれれば解決すると思います。生産的行動をしましょう。結局人生は、それしかありません。

偽物や依存に振り回されない人生を皆がおくれればよいと思います。

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