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お笑い論 その2 フリやオチの理論化

お笑いとは、フリ(既定路線、予測路線)とそれをいい具合にボケやツッコミで外したり明確化する行為=オチで成り立っているのだということに、今更ながら気づいた話を少し前に書いた。

その時にも触れたが、人間大衆の行動原理の6,7割位は心や感性や自分にとってのドキドキで占められている。そしてその心を動かす6,7割の半分ぐらいは面白い!で構成されている。つまり、お笑い(楽しい、面白い)を掴めれば、3割ちょいの人を動かせる。なので多くの消費財コンテンツも、全て笑いの文脈に関わってくるので。笑いを取り入れれば、意外と劇的にステージが変わるのかもしれない。というわけで、その2を整理していこうと思います。






フリとオチに関わる要素

1、キャラ、人間味、持ち味、人間性
2、設定、状況
3、ボケとツッコミ(内容とズレの指摘幅)
4、リズム、間、タイミング


以上4点が、笑いや面白いに関わる要素である。順にみていこう。


1、キャラ、人間味、持ち味、人間性

既定路線を作るフリがあり、その予想を外すオチがある。この既定路線を作るのに一番影響力が強いのは、その人の持ち味である。持って生まれたキャラと言ってもいい。

こわもて、イケメン、不気味、チビ、ハゲ、人見知り、ケチ、すべてをお金換算してしまう、バカ真面目、ヤンキーちょい悪等々。まぁなんでもいいのだが、外見や立ち振る舞いやらでにじみでてしまう、その人らしい持ち味というものがある。その人なりの世界の見方、行動原理ともいえる。

安田大サーカスのくろちゃんみたいなかん高い声の人が、世界の真理みたいな難解な話を語っても、柄じゃないと耳に入ってこないだろうし。オリラジのフジモリみたいなチャラ男キャラの人が、真面目なことを言ってもチャラいせいで信用されないのと一緒である。人間は偏見にまみれているので、こういう人は、まぁこういう認識、反応、行動する人なんだろうと自然に予測して、既定路線をすぐに作ってしまうわけだ。

つまり、人から見られたら、あなたは○○そうというその第一印象が、そもそもフリになってしまうわけだ。なので、そのフリを生かしフリを利用して、一般大衆とは違うその特性を存分に振る舞って突き抜けて、普通の人ならそうならないよ!そこまでやらかす!?という普通の既定路線を外れてくる動きが笑いになる。あるいは、そういうフリの人間に思われがちだけど、実は違うこともあるんです。これだけは例外で私ダメです。ちょっと違います。がキャラの既定路線を外すオチとしての笑いになる。

お笑いに一番大事なのは、人とは違ってしまうその人の容姿や個性や気質という意図せずに印象を与えて構成されてしまうそのキャラが、一番大事で根底にある。なんだかんだいって、そのキャラが他人とズレていて、それを恥じらいなく惜しげもなく貫けば、それが笑いなのだ。

某漫画にて、キャラ(仁)に合致する相性の判断基準、こういう人はこういうネタが向いている系の話があったので、参考までにあげておく。

漫画 あかね囃より




2、設定、状況

TVのロケや、普通の進行の番組で笑いをとれる芸人さんは、1のキャラに秀でている。オードリーの春日とか千原ジュニアのせいじみたいに、本人は真面目に普通にやっているつもりでも、それが”一般人とは違う変”で笑いになる。さまぁーず(最近みないけど)みたいな、永遠の中学生として小ばか感と下ネタ具合が、大の大人がやることか!?と普通と違うで笑いになったりする。

しかし、1的なその人のキャラだからこその、既定路線や既定路線の外しができなくても、設定や状況を架空に想定して作り出して既定路線を1から印象付けることで、そこから外してボケとオチを作り出すことができる。これがいわゆる漫才やコントである。ラジオやらの一人フリートークがキャラ10割とすれば、漫才はキャラ要素8割ぐらいだろう。コントは、舞台装置や衣装のおかげでキャラ要素がうすれて2割ぐらい(作りだした設定状況優位)になるとおもう。両方が混ざったコント漫才もあり、この辺はグラデーションとなる。

・スマホを購入したい客と店員
・銀行強盗中の銀行員と強盗
・アルバイトをやめたい大学生と店長
・配達に遅れたピザ屋の店員の言い訳
・はじめてクラブに行く社会人
・カルチャースクールに申し込んでみた仕事一筋人間    等々

キャラ関係なく、こういう設定や状況なら、普通こういう流れ(既定路線)になるはずだよね???というのを聞き手に想定させておいて、そこからずらしていくのが、漫才やコントである。

行列に並んでいる人が、行列に並んでいる状況でおかしなことをしたという現実ベースではなくて、○○の行列に並ぶ○○が変な人という想定や架空や物語をそこで自在に作れるので、その人だからこそのキャラの既定路線は薄くなり、事態の展開や進行がフリとオチになる。

なので、その人が面白いんじゃなくてそこで起こっていることが珍しい変で面白いということも作り出せる。いわゆるエピソードトーク的なのはここに含まれる。




3、ボケとツッコミ(内容とズレの指摘幅)

ようやくここから、ボケとツッコミの話になる。1のキャラが十分にできていればフリとオチはそこで完結しているので、わざわざボケもツッコミも用意する必要がない。(ツッコミがあった方がわかりやすいはわかりやすい。)その人だから数字を持っているみたいな話になる。キャラが強いともいえる。

しかし、そもそもそんなみんなキャラが強いわけではないし。一目でわかるスター性があるわけでもない。誰しも人とは違う独自のキャラはあるだろうが、相手にそれが伝わって認識されていないと、規定路線のフリにはならない。自分のキャラを生かし広める意味で、自分に合った設定やその先のボケやツッコミをを作ることも大事になる。

ボケとはズレを作り出すことであり人と違うこと、普通とは違うことをすれば必ずボケになる。しかし、相手の許容や理解の範囲を越えると伝わらない。そしてズレを指摘して説明してわかりやすくするツッコミは、どこのズレをどういう形で指摘するのかが鍵になる。

この構造は、物語論やゲーム作りとかなり似た構造だと気づいた。詳細は後述する。漫才作りの参考になれば幸いだ。




4、リズム、間、タイミング

リズムや間やタイミングも大事である。3つの視点がある。

1、リズムや間やタイミングも規定路線のフリは意識の中に出来上がっているので、あえてゆっくりする。あえて早くする。間をわざとあける。これもズレを作りボケで笑いになる。

2、理解されやすい伝わりやすい速度という分かりやすさがリズムや間やテンポにはある。プレゼンテーションみたいな話で、緊張しておどおどしている人よりも、どっしりと構えていて、心地よい方が聞く姿勢をもたれやすい。滑舌の良い方がいいとか早口はダメみたいなものだ。

3、客がズレを理解するがボケとツッコミには大事なので、既に理解して気づいていることを白々しく指摘しても面白くはない。相手が気づいていない段階でツッコミして気づかせるのか。気づいた瞬間と同時位にツッコむか。相手が焦れてもう誰か言ってよと思うぐらいに、遅らせてツッコミすることもできる。




漫才やコントも物語の1形態であり、物語論と似た構造をしている。

漫才とコント(ボケやツッコミやフリとオチ)も物語であると気づいた。テーマや展開があり結末があるものであり、ボケとツッコミは、その物語に出てくる出来事の1つなのだ。

物語とは、以下の4要素で構成される。
・キャラクター(どんな登場人物がいる)
・世界観(現代の今でもいいし、○○××な世界というSFや仮想でもよい)
・テーマ、軸
・道筋、道のり

漫才の場合は、キャラは自分。世界観は現代日本として、あとはテーマや道筋、道のりで話を練るパターンが多い気がする。コントでは、キャラの捻りがあるが、世界観は現代の今が多い。もっといくらでもこの世界観の部分は色々作れる。例えば、天地が逆転して、本番中逆立ちしっぱなしの世界で二人が織りなす寸劇とか。ゲームのRPGの勇者がラスボスを倒した後の、王国までの帰り道で仲間と語るアフタートーク寸劇とか。

どの要素から練り始めてもいいし、結論からでも物語の始まりから考えてもどちらでもいい。ただし、この4要素が問題なく機能しているかどうか、つまり、こうすればこうした方が面白いというルールのようなものがある。

ルールを無視して一足飛びして、答えを知るような、正解の定型や類型化(フォーマット)を真似てネタを作り出すことも可能だろう。(漫才やコントはキャラや世界観を固定していて、変数が少ない為)そこまでの掘り下げはまた別の機会にしようと思う。

さて、ボケとツッコミと言われると固定観念にとらわれてしまうが、物語論として俯瞰してみれば、それはゲームのラスボスを倒していくまでの、敵との遭遇の道のりと言い換えられる。そう考えた方が上手くいくと思う。

ボケの必然性:なぜその小ボスと戦うのか。背景、理由、意味の吟味。
ボケの強大化:小ボスの次は、どういう中ボスがくるのか(前の敵より弱くなると楽勝になってしまう。それすらもフリにできる場合もなくはないが・・・。弱くなってるやん!ちょろいやん!みたいな。)
ボケの連続性、一貫性、テーマ性:倒した後に、次はどうなるのか。最後のボス(オチ)とその小ボスや中ボスはどう関連するのか。(絶対全て関連する必要はないが、関連性がある方が伏線やそれがフリとして、オチにプラスに働きやすい。)

どういう山を作って、波を作って、オチまで向かわせて、その山や波はどういう波長を描くのか。どう最後と関連し全体のテーマや軸に関連するのか全てのボケとおちを注意して練っていく必要がある。

最後は、その流れの中での、言葉選びの最終調整になる。一番伝わりやすい言葉探しである。小気味いい。わかりやすい。例える。万人うけする等々。

一方、ツッコミに焦点をあてると、ツッコミとはズレの顕在化、リアクターの役割である。ボケだけでも、ボケが完全にピントがあっているならば、ツッコミはいらない。ボケてというアプリ?とか大喜利と一緒だ。ツッコミがなくても笑いは生まれる。

しかし、見る人によって理解はまちまちだし、背景は全然違う。なので、ツッコミは、ボケが決まりきらなかったときに、それを軌道修正や説明追加して、ボケをさばくというかカーリングのごしごしみたいに、もうひとおしすることかできる。観客によって、感じるズレは違うのだから、もうひとおしのさばき方がツッコミの腕の見せ所だ。




笑いを起こしやすい状況や条件

色々と笑いについて語ったが、お笑いの結論や根幹は”ズレ”にある。なので、基本スタンスはこのどちらかだ。

そもそもおかしな状況を作る

普通とは違うルールや、普通はダメなことを思い切りやれるとか。普通ではないことをとにかく企画設定する。羽目を外す。やらかした失敗等々も含まれる。



普通ではないことを経験した

不思議な体験をした。普段しない初体験なことをした。変なことをした。柄に合わない初経験の話。嘘で作ってもいいし、そういう経験をするべく普段から、普通と違うことが起きそうな方を選ぶようにしても良い。



おわりに

プロで面白い人と面白い一般人との違いがどこにあるかと言えば、一番はやりきっているかにあると思う。役者がキスするシーンで照れていたら、客は白けてしまう。本気で演技してやりきっているから様になりその構築された世界に浸れるのだ。

機会があればその3で、ボケとツッコミの詳細パターンの類型化。フリからオチに至るまでのパターンの類型化を行いたいと思う。チエックリストみたいに、お笑いのネタ作りの実務上のものができて誰彼の参考になれば幸いです。


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