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今年絵で頑張ること

最近絵に対してこれでいいのかと思う。
自分の絵にはあまり意味がない。意味とか考えて描いたことが無い。noteも小説もそうだ。描いていくうちに、無意味に入れてみたこれがここに繋がるんじゃないかと思ってたまたまそれらしく繋がったりすることが多い。
だから人に自分の作品を説明が上手くできない。それでもいいような気がするし、もうちょっと理論を踏まないと進化はない気もする。

大体作品に意味を込めるというのが漠然としていて、正解の形がないようにも思う。でも自分自身が狙ったものを他者も受け取れるというのがせめて良いとされるのだろうか。まずは自分自身が何らかの意図を持った状態でそれが伝わることを意識して描くというのも改めてやっていかないといけないかな。
思えば、漠然と絵を描きたいというより、何を描きたい伝えたい、誰に届けたいというのを考えて描いた時の方がよっぽど筆は進んでいた。

いままで彩度に気を取られて塗っていたことが多かったけど、それも大事だがまず明度をマスターしないといけないと思う。
赤オレンジ黄色緑青紫、黄色が一番明度が高く、紫が一番低いというそれぞれ一色の中だけでなく複数の色の間でも明度が存在することとか、感覚的には分かっていたがしっかり理論を積んで知ることはずっと新鮮に感じたし、隣あう色によって色の見え方が違くなることだって改めて最近知れた。どれだけ今まで無知に描いてきたかを思い知らされる。
明暗についてはまだ勉強中だがそういうのをたくさん知ってから人の作品を見たら本当に面白い。カラーの絵を頭のなかでいったんモノクロに置き換える。すると次に白灰色黒をどの比率で使っているか、という風に見るのが楽しい。これが中間色だと思っていたものでも実は一番明るい色だったりと勉強が尽きない。絵の勉強をしてる人はもしかしたらとっくにそんなことはできているのかもしれないが、何事にも勉強に関して遅すぎるということはないはずだろう。

モノクロの絵をデジタルになってからあまり描いてきていない。できれば厚塗りと同じ要領で塗ってみたいというのはある。ちょっとプレッシャーのあるくらいが練習になるので、skebでやってみようかなと思うが、それはつまり練習台にさせてしまうので申し訳なさもある。
skebだとやり取りができなくて自分の目的と人の要望にギャップが生まれそうなので別でプランを立てる方がいいのかもしれない。

あとは統一性の無さだなー。手っ取り早いのがアカウントを分けることなんだろうけど。管理しきれなさそうではあるし、どこかがおろそかになってしまうのも考えものだ。統一性に関しては自らが意識せずとも滲み出るものを見てくれる人が判断してくれているとまかせっきりなのだが自分自身も分からなければ、他人からの評価も分からないままである。これはフォロワーの数やいいねの数で図るのは非常にナンセンスで、自分のアーティスト性を作るのは筆を取る以上誰でも求めるものだと思っている。
自分の人より突出してこれが好きだというものが特別無い、というより幅広く好きという感じだ。それ自体は良いと思うんだけど、それらに共通点を見出してみて自分の傾向を知ることもいいのかも。
思えばあんまり人に自分の好きなものを説明してこなかった。自分の中で大切にする感覚が好きだったから。けどそういう楽しみと、内を曝け出すことが表現の絵ではスタンスが違うなと思うし、私自身の態度も少し変えていく必要がある。

あとは構図だ。これは本当に考えてこなくて、感覚的にもほどがある。どういうのがベストな構図であるかの解はそれこそ無くて、だからこそ勉強せねばならないものだ。
ロングショットで見せたら背景も描けてその場所を伝えるのにピッタリだ。静謐な印象を与える。顔のアップを取れば緊張感が出るし、またそれらを真ん中に持ってくるか端に持ってくるかで印象は変わるだろう。
画面の中の形や線のリズムは、上下横どこから物をうつすのがベストか…ビジュアル的な気持ちよさを考えていかないといけない。

私が陥ったら一番やばいなあと思うのは反応の数に振り回されること。ここ最近は自分の好きなものを描いてアーカイブ的に残しているのだからいくつでもいいなと思っていて、気にすることがほとんど無くなった。反応の数で苦しくなっていた時は、いっつも頭の片隅でどのくらいいけるだろうかと数字を叩くために絵を描いていた。しばらく離れて自分の気が進むままに絵を描いていたらすごく楽しくて元々のあるべき形に戻れた。そこでツイッター上での今までのやり方は自分にとって順序が違うし本来の楽しみでは無いと気づけたのが良かった。
こういうことを言うと、以前「あなたは現在フォロワーがいくついるからそういった余裕があるのだ」という風に言われたことがある。私の発言も非があったのかもしれないが、その言葉の意図が正直よくわからなかったしぶっちゃけそうであっても私が安定しているならそれでいい。きっと相手は真面目で、私の発言の矛盾性について引っかかったところがあるのかもしれない。
フォロワーがいくついるから、いいねがいくつあるから良いだとかをそもそも考えないようにしている。つまりは地盤として気にはしているのだ。
だが他人との競争では自分の心が擦り切れるだけだし、上手い人は限りが無いのでそういった競争に目を反らしたら楽になったということである。もちろん心の中で競争が始まったら苦しく思うことだってある。けどそういう自分とは決別したいのでまた考えをシフトし直す。私は今の気持ちに至るまでのフォロワー100人の時とフォロワー1万人の時は承認欲求は後者の方が強かったし、追い求めたら終わりのないものなのである。1、2年ほど前にやっと気づいたのだが、そもそも他人と比較して生まれる余裕というのは本当の余裕ではないのである。それは常に競争している証であり、自分の優位性を保つために心は緊張している。
これらは自分に適応し自戒するべき内容であるため、誰々にも全て当てはまるというわけではない。数字を気にするのはプロとして活躍したいからなのかもしれないし、悩みの奥にある人の目的は様々なので、私に対する私の意見で他者の悩みをはかることは避けていただきたい。

とりあえず今年は時間がかかってもいいから、来年の自分にちょっと変わってきたかもって思ってもらえるように絵を描いていきたい。その間フォロワーが離れていこうが、今でも十分についてきていただいているので、安心してしたいことに飛び込もうと思う。
私の場合、自分で決めても遂行できたためしは6割程度なので、見える形で投稿する。やらなきゃいけないなぁ…と思うが、いつでも誰の言葉の後押しよりも自分の決意の後押しが一番大きい判断材料だ。頑張るぞ!

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