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コットンの日に寄せて

はじめまして。キテン代表の酒井と申します。
2019年の4月に福島県いわき市を拠点に「株式会社 起点(キテン)」を立ち上げました。ふくしまオーガニックコットンプロジェクトで栽培した綿花を使用し、オーガニックコットン製品の企画・開発・販売を行う会社です。

本来であれば、5/10に本拠地いわき市でささやかなお披露目のイベントを行う予定でした。催行するかどうか決断するあたりで、日本国内でも新型コロナウイルスの影響が拡大していったため、無期限延期を決めました。事態が落ち着き始めたらまた企画したいと思います。

代わりに設立表明を、と言うと大袈裟ですが、コットンの日に合わせてこれを書いています。自分のことを自身で発信するというのは苦手なんですが、最後まで頑張ります。

1、ふくしまオーガニックコットンプロジェクトとは

2012年より、NPO法人ザ・ピープルによってスタートした綿花栽培による被災地復興プロジェクトです。2011年の東日本大震災によって、福島の農業(農家)は壊滅的なダメージを受けました。津波被害に見舞われた畑は塩害からの再興に時間がかかり、原発事故の風評被害によって契約が切られてしまう農家さんがたくさんいらっしゃいました。また、家族で食べる程度の農業をしていた方でさえ、「出来た作物を子や孫に食べさせて良いものなのか」を悩み、その生業を諦める方が多くいらっしゃいました。

そんな中、畑から生まれ、塩害に強く、土壌の放射能移行係数が低い「綿花」と言う作物にスポットが当たったのは、奇跡のような巡り合わせがあったのだと思います。「綿花を有機栽培で育て、収穫した綿花を売買することで福島の農業再生の一助となりたい。」オーガニックコットンを扱う企業の御紹介で長野県信州大学より在来種の備中茶綿の種をいただき、専門家の指導のもと、地元の農家さんとプロジェクトメンバーが主体となり、2012年の春から栽培がスタートしました。

栽培にあたって肝となったのは有機栽培で育てることでした。環境にダメージを受けた福島だからこそ、環境に配慮した方法を選びたい。プロジェクトの根幹であり、何があっても揺るがなかったこのポリシーは、今もなお継続して実践されています。

2012年のシーズンで収穫出来た綿花は、種付きで100kg/1.5ha。綿花は重量のおよそ2/3が種の重さになるので、原綿としての重量は30kg程度です。当時の売買条件は、1kg@¥1,000という綿花としては破格の金額でしたが、かかる手間と労力に対して得られる売り上げはかなり少ないものでした。また、栽培のノウハウがなかったとはいえ、復興ボランティアの方々による援農のご協力がなければ、1.5haという作付け面積も管理し切れないほどだったと思います。

これらを受け、収穫した綿花を原料としたコットン製品を企画・販売するいわきおてんとSUN企業組合が2013年2月に発足。おてんとSUNによる商業とザ・ピープルによる農業で、コットン事業の両輪を支えていくこととなりました。

2、コットンの仕事を続けてきた理由

私は2013年にいわきおてんとSUN企業組合に入社し、丸7年間コットンの事業に携わってきました。本当に多くの方とお会いして、それまでの人生では想像できなかった繋がりの中で仕事をさせていただきました。単純におしゃれが好きで、自分の欲しいものが作れるかも!なんていう軽い気持ちでコットンに興味を持ち始めましたが、ここまで自分の人生に食い込んでくるものになるとは、想像もしていなかったです。

ふくしまオーガニックコットンプロジェクトの「綿花による福島の農業の再生」、「栽培作業を共にすることでのコミュニティの創造」という大きな目標がある中、プロジェクトに参加している方たちの意義は人それぞれに枝分かれしていったと思います。私にとっては、ものづくりを担当させてもらったことが全てで、福島で栽培した綿花が実際の製品になるまでの工程をデザイナーさんや職人さんとコミュニケーションを取りながらディレクションし、地元の産品にしていくというチャレンジは、これまで経験したどんな仕事よりも刺激的で楽しいものでした。

平半(重ね縞染め終わり)

また、自分自身で栽培に参加したことも大きな転機となりました。生産に協力してもらってる農家さんから知見をいただき、触れたこともなかった農機具を使い、耕した畝に種や苗を植え付け、収穫まで丹念に管理を行なっていく。汚れるのを嫌って避けてきた土にまみれる行為は、生きている実感を伴う作業だったのだと思います。勿論、そんな綺麗事だけではなく、栽培計画通りに手が行き届いてないことを社内で指摘されると偉そうに抗弁することもあリました。けど、有機農業が持つ”環境や生物への負荷を限りなく軽減する”という道理に、素直に感動したことに嘘はなかったと思います。

ともあれ、歪みまくって正しいことが正しく回らなくなっているなーと感じていた世の中において、自分なりの正しさと、楽しく生きていくというモットーにばっちりハマったってことが大きかったです。

3、コットンの会社を立てた理由

ふくしまオーガニックコットンプロジェクトは大きな輪になっていました。推進メンバーに地元の団体が増え、これまで参加していただいた援農ボランティアの来訪者数は延べ2万人強にのぼりました。企業やNPO、有志団体様など、応援してくれた人たちの想いの分だけ枝葉が伸びていきました。その根っ子として、この大樹を支えなければならない?自分の仕事である製品企画・販路拡大をしていかなきゃ、事業が続かない…と考えたら、そのプレッシャーと責任に押し潰されそうになった時期がありました。

勉強は苦手ですが、自分なりにブランディングについて学び直しました。講座にも通いました。結果、考えが及ばない・まとまらないの連続で、日々打ち砕かれていました。そこから毎日コットンのことを考え、めちゃくちゃ時間がかかったんですが、一つの答えに行き着きます。”根っ子の中心”になって支えなければ!っていう考えがそもそも自意識過剰なんじゃね?それぞれのメンバーには独自の活動理由があるし、得意分野が異なるよ。だったら、俺もたくさんある根っ子の一つになろう。

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福島から発信する地域に根付いたオーガニックコットンブランド「ふくしま潮目-SIOME-」ですが、そもそも地域に根付くって何なんだろう?物が売れて事業も雇用も広がっていけば正解なのか?もし、自分が死んでしまったらこの道半ばのブランドはどうなっていくんだろう?そんなことを考えるようになりました。

根っこの一つに=独立しよう!と思ってまわりに相談を始めたところ、幸いにも起業に向けて共に立ち上がってくれる仲間が集まってくれたため、だったら、物に限定せず栽培から製品開発に至るまで、自分たちの考え方や方法でまるごとプロデュースしてみようという話になり、会社の立ち上げに動き始めます。

4、キテンの設立メンバー

会社立ち上げに際し、私と同じくいわき市出身の仲間が力を貸してくれました。ほぼ同級生の3名です。その後1名が加わり、現在は4名体制です。

1、代表取締役 酒井悠太(さかいゆうた)

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1983年2月生まれ。いわき市生まれいわき市育ち、友達の友達は大体友達。いわき以外では暮らしたことがない生粋のいわき市民です。

2、取締役 會田勝康(あいたかつやす)

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1982年2月生まれ。いわき市平の老舗衣料品店の息子です。主に財務と原材料の管理をしています。頭は良いのですが、とにかく落ち着きがなく、常に酒井と金成を困らせます。けど、良いところあるんだよ。(きっと...)

3、取締役 金成清次(かなりせいじ)

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1982年5月生まれ。おてんとSUN立ち上げの理事。酒井とは中高の同級生です。主に栽培マネージャーとして広大な畑を管理しています。カメラマンもこなします。キテンで使われている写真は、ほぼ彼が撮っています。酒井と會田が喧嘩した時はメンターになってくれます。

4、木田久恵(きだひさえ)

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1989年4月生まれ。通称きゅーちゃんです。キテンでは、広報としてホームページの記事とか書いてくれる予定です。福島市在住。

5、キテンの理念

独立の構想から2年経った2019年に「株式会社 起点」を立ち上げました。社名には”出発”と”軸”の二つの意味を込めました。ロゴが山に見えるって?川の源流のイメージです。

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PHILOSOPHY:福島の記憶に残る生業をつくる

ここに至った経緯として、東日本大震災を経験したことは避けて通れない理由だったと思います。いつまでも震災の話を引っ張りたくはないのですが、それほど強烈でインパクトのある出来事でした。3月11日、私は当時働いていた工場で被災しました。そのまま夜まで会社で待機し、暗くなってから帰りました。ボコボコに割れた道路、崩壊した家屋、車のラジオから流れる「壊滅」というワード、今思い出しても目の奥が熱くなります。家に帰ってテレビで見た映像は宮城県の石油コンビナートが燃え盛る映像でした。忘れられません。

あの日、それまであったものが再建出来ずに無くなり、私がそれまで知らなかった何かしらの文化も途絶えていったと思います。時間が経ち、インフラは復旧していったけど、ささやかなだけど確かにそこにあったものが無くなっていくのって、やっぱり寂しいなって思うんです。もちろん、震災に限ったことではなく、繁栄があれば時代の流れに伴った衰退もあるわけで。けれど、そこにいた人たちの想いは決してなくならないし、なくしちゃいけないものだと考えていました。

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私たちが取り組むコットンの事業もそうあって欲しいと思っています。やっていることに結果や成果を求めてしまいがちだけど、長い歴史で考えればいつかは無くなってしまうかもしれないし。だからこそ、地味でも良いから巡り合った務めに懸命に向き合いたい。コットンの種はその遺伝子に生命の記憶を詰め込んでいるから、春がくると芽を出します。私たちの行いも”街の記憶”として残していきたいと思います。やがて衰えてしまっても、どこかの時代の稀有な人たちが私たちの実践を糧にしていけるように。

個人の在り方が大切です。「これからの時代は、一人一人が自分の中の余白を伸ばしていくことが重要になってくる」と聞いたことがありますが、本当にその通りだと思います。趣味や興味のあることの見解を突き詰めて、その特技で社会や組織に貢献していく。すると、だんだんと主体性が高まり、自身の生活が充足感に満ちていきます。明日もまた頑張ろうと思える。そんな単純な繰り返しの中に幸せを見つけていきたいと思います。

6、SIOMEについて

キテンでは、オリジナルブランド「SIOME(シオメ)」を展開していきます。コンセプトは「循環と機能美」です。ロゴは支え合う人と漁に使う網をイメージしてます。キテンの源流から生まれ流れてきたものを網で受け止めます。

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STATEMENT:暮らしの循環を想像/創造するものづくり

2012年から福島で栽培が始まった在来種の備中茶綿。一般的な白綿ではなく、茶色い小粒な品種です。茶綿を混紡した糸は、ほのかな生成り色をした優しい色合いの物が出来上がります。よく聞かれることですが、製品の生成り色は、染めているのではなく、綿花の色がそのまま表れている自然な色味になっています。日本の綿花栽培は、およそ500年以上前から盛んに行われ、私たちが育てている種も悠久の時を超えて受け継がれてきた貴重な品種です。

御多分に洩れず、私たちもものづくりの背景を大切にするという考え方を重要視しています。セールスポイントとしてというより、自分たちの手で綿を育てている=私たち自身も生産者の一人であるというプライドが、どこの誰に加工してもらうかということに、より敏感になり、こだわりを持たせているのだと思います。

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キテンを立ち上げて、各種の工場を巡っていた時にある老舗の織元さんに出会いました。そこで「身体も機械も元気だから本当はもっと続けたいけど、いくら織っても二束三文の取引にしかならないから今年で廃業する」という話を伺いました。日本の繊維産業が滅んでいくのには、適正な対価が適正な所に届かない仕組みがあるからだと実感し、どうしようもなく虚しい気持ちになりました。

私たちは、つくる側とつかう側のちょうど両方に足をかけています。つくる人の誇りと伝統を守るためにフェアな直接取引を方針とし、つかう人の生活を快適にする確かな品質のものづくりをしなければなりません。限りある資源と地域経済を担保していくためには、生産者と消費者の両者が心を寄せ合わなければならない時代です。互いの暮らしの循環を良くしていくため、時代の潮目に見つけた価値観を目に見える形にしていきたいと思います。

7、キテンのオリジナルプログラム

キテンでは独自のプログラムも実践していきます。いわゆる、会社としての”余白”の部分になります。

1、フクシマエアルームコットン

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メイドインジャパンコットンのオーガニック認証を取得する独自の栽培プログラムです。エアルーム(HEILROOM)とは、「家宝のように大切に扱われてきたもの」という意味です。有機栽培の代名詞としても使われることもあります。

福島で有機栽培している綿花は、実は”オーガニックコットン”は名乗れません。なぜなら、日本において綿花の有機認証制度がないからで、第三者期間の認証がない綿花を使用すると、テキスタイルとしての認証取得(種類による)も不可能になります。最終的には、”福島で有機栽培した備中茶綿”という品質表示になっているのが現状です。

なぜ、認証が大切なのか。理由はたくさんあるのですが、単純に不正をする人が増えて、本来の適正な価格や価値がどんどんグレーになっていってしまうからだと思います。途上国の綿農家では、オーガニックコットンを栽培するより、通常のコットンを栽培した方が量も採れて稼ぎになるという話も聞いたりします。(農薬による健康被害、種や資材の売買による家計の圧迫は言わずもがな)

私たちはコットンを扱う企業としての責任を全うするため、福島綿のオーガニック認証取得に向けて独自に動き出します。

2、起点の生態観察記

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地域資源を学び、自然との共生を実践するキテンの環境保全プログラムです。

私たちが綿花の栽培に使用している農地は、人の手が何年も加わっていない休耕地がほとんどです。トラクターに追われて蜘蛛やバッタが走りまわり、起こされたカエルやミミズが顔を出すと、それらの虫たちを捕らえるために鳥たちが後をついてまわります。

このように、人を含めた生物の繋がりの光景には、脈々と受け継がれてきた生命の美があります。草花や土の匂いを身体全体で感じ、自然界に存在する動植物を認知することは、そこに立つ自身の命を見つけ、環境との関わり方に気づくことと同義だからです。

ただ、自然との共生には正しい知識に基づいた方法が必要だそうです。むやみやたらに手を加えず、その風土に合った正しい保全方法を学び、使う側の知識と実践に基づいて管理を続けていきます。

8、おわりに

2013年のことから徒然と書いていたら10000字を超えるペースだったので、途中でやめて書き直しました。よく寄り道して行き先を間違えます。こうして思い返してみると、本当に色んなすったもんだがあって今に至ってますが、成長してないなー進んでないなーと思うことも多々あって反省しました。

改めて、これまで共に働いてきた同僚たち、プロジェクトメンバーや地元の農家さん、お世話になっている企業や各メーカーの方々、応援してくれた遠方の方々、一緒に起業してくれた仲間たち、そしてここまで導いてくれたふくしまオーガニックコットンプロジェクト創始者の吉田恵美子氏に感謝します。

頑固でわがままで、本当に自分勝手にやってきました。ついてけねーなーと思った人もいたはずだけど、とにかく、コットンに一番生かされたのは自分自身だったのだと思います。会って謝りたい人もたくさんいるのですが、感謝を以て事業を続けていくことで勝手に贖罪とします。起業直後からコロナの影響をもろにくらっておりますが、悲観せずいきます。

実は本日に合わせて会社のホームページが完成するはずでしたが、あれもこれもをギリギリまで悩んで修正のお願いをしてたら間に合いませんでした!(デザイナーさんごめんなさい!)既に「見たよ」って方、もう少し変わります。予定では5/20前後にupされる予定ですので、お待ちいただければありがたいです。

http://kiten.organic

それでは、また!

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