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祇園祭と着物と親子


祇園祭

とある方と京都の古民家やBAR、アンティークショップを視察した後、
着物でお世話になっているあいぜんの西村さんのお招きで、
一番の長刀鉾がよく見える、
外一ビルから祇園祭を拝見させていただく機会をいただき、
社会人になった息子が急遽合流!

外一は着物の会社で文久2年(1862年)から続いている会社、
3年で代表者が代わり、新陳代謝を行なって続いているそうです。

巡行が終わったあとは着物の展示会場まで、
加賀友禅など全国の着物が集まって拝見できます。
息子もいろいろ羽織ってみます。
はじめてのことにドキドキしているよう、
ちなみに息子は人材の会社に入って、
営業を担当していますが、
金額がはる物を買うという行為は自分でしたことがありません。
あいぜんの西村夫妻と娘さんの美寿穂さんにアドバイスを受けているうちに、
『着物、つくります!』と!
一同、歓声が、、
22歳の男子が自分で働いたお金で着物をつくる。
ということが貴重なことになってしまった日本の現状。
私が20代の時は日本の基幹産業である車をローンで購入しました。

これからの時代、
文化を残すために若い人が着物をつくるということが増えていくと良いな。
着物は代をつないで着れます。
洋服は裁断ロスが出ますが、
着物は一反の布を直線で作りますので、
ロスが出ません。
子供用につくる場合でも、
美寿穂さんは息子に七五三で羽織をつくりました、
子供なので余った布はバッグや草履の鼻緒に!!
こんなに素晴らしいことができます。

流行言葉はたくさんありますが、
日本には地域にあるものを
知恵を使って使い切るという文化がもともとあります。
とても大切にしたいことです。
意識を高め、行動し、実践することを次世代に伝えていきます。



祇園祭の由来

祇園祭の起源といわれるのは貞観十一年(869年)
都をはじめ国々に疫病が流行し、
人々はこれを牛頭天皇の祟りとして恐れました。
そこで国の数と同じ66本の鉾を立てて祭りを行い、
神輿を神泉苑に送って疫神神の祟りを払おうとしたのでした。
これが祇園御霊会(祇園会)と呼ばれるようになります。
その後、力を付けた町衆が鉾と並んで作り山や輿を建てるようになり、
応仁の乱で中断するものの、十六世紀には都の復興、
有力商人の台頭とともに豪華絢爛な祭りと発展して行ったのでした。



長刀鉾

鉾先に大長刀をつけ、疫病邪悪を祓いながら巡行の先頭をつとめる
そのためこの鉾は古来より『くじ取らず』の鉾である。
鉾の中でも唯一生稚児が乗り、しめ縄切りを行う。
もとは三条小鍛冶宗近作の長刀をかざしていたが、
現在は大永2年(1522年)三条長吉作の長刀を保存し、
複製品を鉾頭としている。
前懸及び胴懸は16〜18世紀のインドや中国の希少な絨毯。
平成28年には江戸時代の画家、
伊藤若冲の生誕300年に合わせて『旭日鳳凰図』を用いた見送が新調された。

美寿穂さんの息子の着物の残りの布で作った鼻緒
美寿穂さんの息子の着物の残りの布で作った鼻緒
金箔の糸を刺繍に、
金箔の糸の職人さんは金沢のみに

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