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手鏡日録:2024年2月26日

朝、起動したてのカーナビが二・二六事件の日であることを告げた。
御年95歳の祖母は、雪の銀座を行進する叛乱将校たちを目撃したという。子どもたちには、そんなものを見せたくないものだとつくづく思う。こうした私の思考には、ところどころ祖母の口癖が転写されている。
ずいぶんと風の強い日だ。花粉がしんどい。

2月が終わる前に、書き留めておきたいことがある。
俳句を始めたのが、ちょうど10年前の2月だったということ。以上。
(※これ以降はただの思い出語りになるので、読まなくても良いです。)

10年前、まだ2歳になる前の子どもを連れて、地元にある大きめの公園にやってきた。ちょうど梅まつりの最中だったが、まだまだ寒かったのを覚えている。園内には投句箱が設けられていて、そこで久しぶりに俳句という単語を目にした。たぶん高校の国語便覧以来だったのではないだろうか。
いったんは投句箱の前を素通りしたのだったが、抱きかかえた子どもと一緒に八分咲きほどの梅の花に顔を近づけているときだった。白梅だったか紅梅だったか、枝先に気を払いながら子どもに香りを嗅がせようと、頬と頬を寄せたところで、不意に句が湧いた。
できたた一句を休憩所の投句用紙に書き留め、投句箱に入れた。結果は知らない。
かわいい子どもの姿を写真に収めるのはなかなか難しいと感じていたときだった。こんなにすんなり五七五が捻り出せるのであれば、これで子どものことを描いて残そうと思いついた。吾子俳句ということばはずいぶん後に知った。
結局その後、子どもを詠んだ句はほとんど作っていない。

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