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子育てについて思う事

子育てについて思う事を書いてみようと思います。
私自身は、娘がいたけど二歳を待たずに亡くなってしまいました。親だった期間は短く、子育てをじっくり長期間はできませんでした。

私は、ほとんどを母子家庭で育ちました。当時うちの母はもっともっと昔の時代の子育て感覚を持っていて、子供は放っておいても勝手に育つと思っていた節がありました。母の子供時代は、子育てについての社会的リソースが近所や地域に普通にあったと思いますが、私の時代からは、だんだん家庭だけで子育てするように変化してると感じます。

私の子供時代でも、勝手に育つという子育てしてる所はもう少なくて、私は女の子でありながら、放っておかれてる事で、わりと肩身の狭い思いをしていました。でも母は全く気が付いていませんでした。女手一つで生活の為に働くのが大変だったからというのはわかりますが、自分の子供にリソースを割いてくれた社会の他の人への「感謝」という事が全くありません。あれだけ放ったらかしにしておきながら無事に育ったのは、祖父母や、叔父叔母、近所の人々、友達の家庭、日常的な支えのお陰だと思いますが、その事を母は感謝せず「私は一人で二人の子を育てた」と言い張るので、それには違和感を感じる私です。二人の子供が無事に育ったことについて周りにもっと感謝してほしいと思ってます。でも私と母の話はいまだに平行線で、通じませんので、もういいのですが、話を聞いた人は皆が、今の子育てをして自分の家庭だけで二人の子供を育て上げた人と思って、立派な人と錯覚するようなのが、当事者である私には、やや癪に障ります。母も老齢なので意識を変えることは不可能とあきらめています。

そんな私ですが、でも「育てよう」としすぎて、「育てたとおりに育ちますように」と期待する子育てだけは、私もしないと思います。やはりそんな母の娘だからなのか?どうかわかりません。子供の自主性というか、子供の欲望が生まれる前に、先に親が与えてしまうと、どこか元気のない人間になりそうかも?と思っています。

母が離婚するまでの小さい頃は、初孫で女の子だった私は、周りからかなり甘やかされて育っています。三つ子の魂百までといいますが、今の大人になった自分にも、どこか欲がたりないようだと感じています。世間的な成功とか物質的な事に全く興味がないのは、そのせいかも?とか思ったりしています。

私の子供時代は、ハングリー精神がない子の方が珍しくて、今はそうではなく、逆になってるのかと思います。情報が気軽に手に入る時代ですので、人間の、情報を欲しがる本能だけは満たされてる時代かもしれないと思ったりします。

子供の、持って生まれてくる本能というか、DNAというか、民族の歴史とか、家族の歴史とか、あると思います。私が思うに子供は真っ白のまっさらで生まれてくるわけではなく、生まれながらに一人一人がいろいろ背負って生まれてくるのだと思ってます。それを親は、本人が生きやすい形で社会に実現させていくのが、楽しい子育てだと思います。もちろんそれぞれ違う子なので、どんな子なのか?お互いにわかっていくプロセスが、さぞかし楽しいと思います。

実際に、誰かの子の相手をするのは、あまり得意な私ではありません。娘に会いたくて会いたくて、また子育てしたくてたまらなくなる時があります。でも、もう自分の子を持つことはないと思います。

ただ子供について考えたりすることが好きなのです。よその子を見るのが辛いとか、そういう時期もありませんでした。よその子は、よその子その人であり、私の娘とは別人で別の人生だからです。娘は空にいて、たまに存在を感じることもあります。娘が亡くなってからは「おまけの人生」と思っていて、低空飛行ですが、ぼちぼち幸せに平和に暮らしています。娘を、ご先祖というには微妙ですが、きっと私をずっと見守ってくれていると思います。

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