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自炊ラバーからのおたより

先日(といってもだいぶ前だが)とても共感できるnoteを読んだ。
自炊好きな田中さんが「自炊」と「料理」の違いや自炊愛について綴っている記事。

記事の最後に「全世界の『自炊』ラバーの方が『自炊』のどんなところを愛しているのか気になってきました。」とあったので、ラジオでいうところの「リスナーのおたより」みたいな感じで、私の自炊愛も書いておきたくなった。


ただし、私は自炊ラバーを超えて自炊信者みたいなところがあるので、多少の思想の偏りはご勘弁。


1.自炊をしていると自分のことがよく分かる
自炊の前には多かれ少なかれ「今日は何を食べようか?」と自問する時間があるので、それを通して自分のことが分かるというのも、もちろんある。でも私は、自炊をしていると、なんというか自分の本性みたいなものが分かる、というのを言いたい(最初から思想強い)

先日、旅のお土産として買ってきたご当地ラーメンをお昼に食べようと思いたった。ラクチンでいいな~と思って作り始めたのに、麺をゆでる時間や、お湯の量、「かやく」の投入タイミングなどを確認するために、何度も何度も袋の裏を見返して作り、麺を茹でる鍋とスープを作る鍋を同時に世話して・・・と、なんだかいつもより少し大変だとさえ思った。このときに私が思ったのは、私はマニュアルのないところで、さあご自由にどうぞ!というのは心地がいいけれど、正解やルールが決まっていると、絶対に失敗したくないという気持ちが働いてがんじがらめになってしまう性格なんだな、ということ。
ご当地ラーメンを作りながらそんなに真剣に自分に向き合う必要もないか、とも思いつつ、自炊をしているとこういう自分の性格やクセみたいなものに気が付くことが多々あって、面白い。

単純作業は苦手だと思ってたけど、野菜の飾り切りとか、下ごしらえとかは意外と苦にならないという発見もあった

2.自炊的マインドで欲がそこそこ満たされる
2つ目もまあ概念的な話。私の場合の話ではあるけれど、自炊を続けているうちに段々といろんなものを自分で作ってみたくなった。「チャーハンできるならパエリヤも作れるかも?」「この前お店で食べた春巻き真似してみようかな?」という感じ。
そうして買うのが当たり前だった調味料やお菓子づくりなどに挑戦し、今は「頑張ればたいていのものは自分で作れるな」という、よく言えば創作意欲、別の言い方でいうと態度がデカくなった。
(ここまで行くと引用した記事でいうところの「料理」であって、もしかすると「自炊」の範疇ではないかもしれないけど、まあ、なんでも自分でこさえてみようという「自炊的マインド」の話ということで)

創作意欲が高まりすぎてたくあんを自作した


最近は、食に限らない。街や雑誌でかっこいいインテリアを見かけたり、素敵な雑貨を見つけたりすると「全部は無理でも、ここは真似できそうだな」とか、「試しに自分でも作ってみようかな」という気分になる。
昔は「センスうらやましい~」とか「欲しい欲しい…!」と思っているだけだったが、そのときよりも何倍も楽しい気分だ。数年前までの私は欲しいものがありすぎて、でも当然全部は買えそうにもなく、半ば本気で絶望していた。「いつまで経っても欲しいものだらけ、行ってみたいお店だらけだから、いつか大富豪と結婚するしかねぇ…」と、いうのは冗談だけど、とにかくそれくらい自分で作る・行動する、という選択肢を無視していた。
たとえ作った結果がパーフェクトなものではなかったとしても、何かを手に入れる方法は人の作ったものを買うだけじゃない、と気がつけたこと自体が、私にとってはすごくハッピーだった。


3.自炊生活していると、一攫千金みたいな話に振り回されない
結局最後の3つ目が、一番思想の濃いものになりそうだ。
この前、近所のカフェでまだ少し明るい時間にビールを飲んでのんびりしていた。大きな窓から外が見える席に座っていて、遠くの空を飛行機がすーっと飛んでいた。飛行機雲はあまり長くない尻尾のようなタイプのもので、ちょっと隕石のように見えて、私は隣に座っていた家族に「ああ、あれがもし隕石で、どこかに落ちて、明日会社がお休みになったりしないかな」と言った。

注・仕事は好きなんだけどね!!!

で、ふと我に返り、ああもしかするとこんな感じで人は戦争に加担してしまうのかもしれないな、と思った(想像力の鬼)。なんとなくただ過ぎていく平凡な日々に耐え切れないというか、退屈してしまってどこかでどかんと一発逆転!みたいなことに期待してしまうというか。

1948年に創刊した長寿雑誌「暮らしの手帖」には、巻頭にこんなことが書いてある。

「もう二度と戦争を起こさないために、一人ひとりが暮らしを大切にする世の中にしたい」そんな理念のもとに創刊しました。
暮らしの手帖

これはほんと、見かけるたびにハッとさせられる言葉だ。最近は「丁寧な暮らしは時間も余裕もある人だけがやるもので、女性を家に縛り付ける呪いだ」というような少しトゲのある言説も見かける。果たして本当にそうなのか。誰かと対決したいわけではないのでここでの詳細な反論は避けるけども、丁寧な暮らしを送っている人の中には、割と切実な思いをもって、それこそ上で引用したような言葉のようなことを考えて、その暮らしを選びとっている人もいるんじゃないか。
・・・なんて思ったり。

言いたかったのは、人に褒められるような丁寧さは必要ないけれど(ましてやたくあんを自分で作る必要はない)、淡々とした自炊生活を繰り返す力がついていれば、天変地異や魔法みたいなことを夢見ないで済むようになるのでは、ということ。
周りを見渡すと「1週間で激やせ!」「今すぐ自分を変える○○」みたいな本や動画が多く、つい魅力的に映る。こういった煽り系の言説に振り回されて疲弊しないような"体幹"を鍛えるためには、他人まかせにせずに自分で生活を作っていく、ということを日々淡々と繰り返すのが大事なんじゃないか。

と、隕石が落ちることを一瞬でも想像した私が熱弁しても説得力はほとんどないのだが。

以上、自炊ラバーの自炊愛改め、とある自炊信者のアクの強い思想でした。

書きながらこれは最近私がひっそりと研究している民藝に通じるなと思ったのだけど、記事が泣く子も黙る長さになってきたので、また別の機会に。

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