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ゆるやかな分断

「あの子と私はちがう」と線を引き、また、勝手に線を引かれることも多かった気がする。


小学校の頃。自分で言うのもなんだけれど優等生で、とくに勉強をしなくてもテストで良い点がとれた。親や先生の言うとおりにすることも、宿題や復習をしっかりやることも、ノートをきっちりとることも大好きで。

自他ともに認める優等生が知らず知らずのうちに引いていた”傲慢な線”は、「私は頭が良い、あの子はそうじゃない」。我ながら、イヤな、こまっしゃくれた子どもだったと思う。

中学校、高校、そして大学生の頃。優等生だった私は下落していった。それはそれは華麗なる下落だった。自分がそれほど頭のよい人間ではなかったと打ちのめされ、どれだけ勉強をがんばっても上手くはいかず、この先をいっても先は暗いだけだと思い知り。

私が傾倒していったのは、インターネットの世界。

文章で自分を表現することを覚え、htmlやcssを覚え、得体の知れない大きな大きな波のうえに感情や意見を放流していく快感と達成感を覚えた。「私は文章で生きていく人、他の人たちはそうじゃない」という線を、これまた無自覚に引きながら。


こちらが、ゆるやかな分断をすればするほど、望まない線を引かれ、距離を置かれることもまた、増えたような気がする。

「あの子は違うから」と直接であれ間接であれ言われることは、プラスもマイナスも両方の意味を含む。憧れられ、尊敬されることもあれば、話の通じないつまらない人間として一刀両断されることもあって。ああ、私自身がこれまで無自覚に引いてきた線は、なんて鋭利だったのだろうと思い知るのだ。

自分と相手の間に境界線を引くことは、何も生まない。
ゆるやかな分断は、自覚的であれ無自覚的であれ、争いや無関心の火種となる。



最近は、肉食か、それともヴィーガンを選ぶかといった問題にも悩まされている。肉食を選ぶ人たちとヴィーガンを選ぶ人たちの間に引かれた、ゆるやかな線。その線の存在が自分の中で、くっきりと濃く浮かび上がるきっかけとなったのは、こちらの記事だ。

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