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「正解」と「不正解」じゃない、「善」でも「悪」でもない

スピリチュアル系の本が割と好きで、服部みれいさんとか辛酸なめ子さんとかの本をよく読む。キーワードで言うと「引き寄せの法則」「インナーチャイルドケア」「瞑想」「ホ・オポノポノ」「ウニヒピリ」「マインドフルネス」「運気」「冷え取り健康法」「アファメーション」とか、そういう。

これらがいわゆる「ある種のジャンル」として、世間からは一歩引いて見られてるのも理解しながら触れてるつもりだ。新興宗教とかマルチとか、そういうものに向けられる目と似ている。

でも、ある事物に対して「正解」か「不正解」か、はたまた「善」か「悪」かの二元論で語り、断定する姿勢って何事においても危険だよな、と思うのです。スピリチュアル系が正解でも不正解でも、善でも悪でもどっちでもいいというか、そういう土壌にあげて語るものではないというか、自分の本心が良いと言ってればそれで良いんじゃないの、というか。

私自身、0か100かの人間で、黒か白か決めないと先に動けないような性質を持ってるので、余計わかるのです……。

世間体としてどうか、とか、人にどう思われるか、って判断基準とはまったく別の、「自分はどう感じ、どう思うか」ってところだけは忘れたくない。それは、自分が良ければなんでも良いっていう利己主義とも違うし、他人のことなんてどうでも良いっていう傲慢さとも共存しない。

まず自分はどう感じるのか。
まず自分はどう思うのか。

判断基準を「自分」に設定し、感じ考えたうえで、他のことを検討したって良いじゃないか、って話だ。優先順位の話。

スピ系が好きだったら思う存分そういう本を読めばいいし、興味があれば試してみたっていいし、他人にお金を無心したり故意に傷つけたりするようなことにならなければそれで良いじゃん、って思うのだ。

何事もひとに意見を聞いて、隅から隅までいろいろ調べてからじゃないと判断して動けないような人を見てると、石橋叩きすぎて壊して途方に暮れる少し前の自分を思い出して羞恥とやりきれなさに襲われます……。

自分の心はなんと言ってるのか、正解とか不正解とかそういう色眼鏡を一度外して、ただ単に味わってみませんか。きっと自分が納得できればどのみち正解なんですよ。


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