アウトプットは無理にでもやっておく


さやかさん(@natvco)のこのnoteに心底共感した。Twitterやnoteなど、少し休んでいるとどんどんネタが拾えなくなってアウトプットできなくなってくるよね、という話。

私自身も、頑張っていた頃にくらべたら1日のツイートの頻度も減って、今でこそnoteは毎日更新を目指して頑張っているけれど、1-2ヶ月単位でまったく更新していない時期もあった。

不思議と、書かなくなると音を立てて感覚が摩耗してくる。めりめりと、ぺきぺきと、キチキチと、錆びついて言葉が浮かび上がってこなくなる。筋トレをサボるとそのまま脂肪に変化してしまうように、書くための脳細胞が退化して干からびて、どれだけ水や栄養を与えても蘇生されない瀕死状態になるような気がする。

あれだけツイートしていたのに、一言も言葉が浮かばなくなる恐怖はすぐさま精神衛生状態をどん底に突き落とす。書けていたのに書けなくなるというのは、想像以上に救いようがない。1ミリたりとも自力では動けない泥沼に腰まで嵌まって身動きできないような息苦しさ。闇。底。怖い。

だからこそ、もう有益とか無益とか意味があるとか無意味とか、そんな世間向けの外聞はかなぐりすてて、書きたいものを書くリハビリ期間を無理矢理にでも挟んだほうがいい。アウトプットは無理にでもやっておく。そこに意味なんてなくてもいいし、自分からまぶしておく必要さえない。見る人が見て、それぞれの心境と環境を加味して何かしら思うことがあれば、それはそれでいいと思うのだ。

インプット・アウトプットという言葉がよく聞かれるようになった。

私自身も性に合う言葉でよく多用するけれど、あまり言葉のイメージに引っ張られすぎて躍起になるのも、それはそれで心をすり減らす結果に繋がるのであまりよろしくない。

私は書くことが仕事で、これからも書くことを仕事にしていきたいので、インプットやアウトプットは無理にでもする。それが私の仕事で、自分なりに価値を生み出し世界へ放流する作業だと思っているからだ。

感覚はいつまでも研ぎ澄まさせておきたい。やればやるほどどこへでもいけると思い込んでいたい。方向違いだとしても前に進んでいたい。繰り返し間違うことによってチャレンジ精神を保っていたい。

アウトプットは、無理にでもやっておく。


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