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「声を聞きたかった」といわれた彼の


「今どこにいる?」と訊かれるのも苦手で、「声を聞きたかった」という理由だけで電話をかけてこられるのも苦手だ。

おおよそ恋愛関係を構築していくには不都合な性質ばかり持ち合わせていて、だから、30年近く生きてきて特定のパートナーがいないのも頷ける。わたしがいちばん納得している。

「今、どこにいる?」
「声を聞きたかった」
「顔を見たかった」
「明日、何してる?」

これらはすべて愛情表現なのだろうか。好きだからこそ許せるのだろうか。縛られていると思うわたしがズレているのだろうか。こんなわたしにはこの先ずっとパートナーができずに終わるのだろうか。

それでも厄介なのは、心のどこかで、死ぬ瞬間までひとりだったとしても楽しく生きていけるだろうと、確信してしまっているからだ。

会いたい、といわれて、仕事が忙しいから、と断ったことがあった。

とくに深い意味もなく、当時は生涯イチ忙しい仕事をしていたので、終わったらすぐに帰ってゆっくり身体を休めたいという思いだけが率先してあった。パートナーが家にいたならば、心身ともにゆっくり休める事態にはならない場合もある。

「忙しくてもいい」「ちょっとだけ顔を見られたらいい」「ご飯を食べてお風呂に入ったらすぐ寝よう」「もう1週間も会ってないよ」

言葉の細部は違ったかもしれない。とにかくひとりでゆっくりしたい気持ちしかなかったわたしにはどれもノイズに聞こえてしまって、遮断した。

結果、案の定というべきか、その相手とは別れてしまったのだけれど、これほど10対0の割合でこちら側に非のある別れ方もなかったはずだ。

夜22:00頃に交わしたLINEのやり取りが火種となって、身勝手に積もらせていた不満や文句を勝手にぶつけた。

いや、ぶつけることさえもできなかった。

最後までどこまでも中途半端で、相手のことを心底思いやってあげることもできず、自分の行いを直そうともせず、なあなあにして距離だけを置いて、逃げたのだ。

今頃どうしているだろう、と思い巡らすこともある。短いあいだ、けれど、取り出せる思い出の数は誰よりも多かったあの人が、いま、幸せでいてくれたらいいと密かに願うことしかできずにいる。


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