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どんどん嫌われよう。

どんどん嫌われようとおもった。いま、突然、ふいに。嫌われるかもしれないとこわくなって自分を抑制してしまうくらいだったら、嫌われたっていいから言いたいこと言っていこうとおもった。

「嫌われてもいい」開き直りって、いちばん強いんじゃないだろうか。

誰だって自分が可愛いし、もちろん私だって自分がいちばん可愛い。保守的な人間で、自分の身の安全や損得を第一にかんがえる人間だ。

だからこそ、嫌われたくないとずっと思ってきた。

嫌われたくない、好かれたい、認められたいし尊敬されたい。一目置かれたいからこそ文章を書いているのかもしれないし、一味違うと思われたいからnoteやTwitterを続けているのかもしれない。

そんな中で、「嫌われてもいい」と思って行動するのは勇気が要る。

嫌われてもいい、嫌われてもいい、どんな風に思われたっていい。ひとの感情を逆なでしないように、傷つけないように、怒らせないように、地雷を踏まないように、先回りして気を遣いながらコミュニケーションをとるのに疲れてしまった。

もちろん意図的に悪意ある言動をするのは良くないことだけれど、私が私の頭をつかって考えて、現時点で出せる自分なりの考え・意見だと信じて発する言葉は、それはそれで尊重されてもおかしくないのである。

それをどう受け取り、どう料理するかは受け取ったり拾ったりした側がかんがえることであって、私はそこまで責任をもたなくてもいい。

こういう言い方も、人によっては違和感を覚えることかもしれないけれど、これからは臆せずに書いていく。だって、嫌われてもいいって決めたから。

嫌われてもいいと開き直ってから、心を縛っていたものに少しずつ気づきはじめた。私は、顔の見えない声の聞こえない第三者に縛られているとずっと思ってきたけれど、私を縛っていたのは私だった。

他の誰でもなかったのだ。ひとりでがんじがらめになってひとりで苦しんでいただけだった。

それにさえ気づければこんなにも生きるのは楽だ。呼吸がしやすい。嫌われるのはまだ少しこわいかもしれないけれど、いまこの瞬間、生きやすいほうが何倍も良いに決まっている。


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