考えない、書かない、そのままで
あえて、これまでの自分がやらないことをやってみる。
東京のシェアハウスに住むようになってから、いろいろなことが変わった。早寝早起きだった生活が大きくずれ込むこともあり、お酒を飲みすぎることもあり、会えなかったような人に会うこともあり。
これまでの自分の生き方に「固執」しすぎていたら、きっと遭遇しなかったようなさまざまな奇跡を、この1ヶ月の間、たくさんたくさん、体験してきた。
今までの自分がしないようなこと、逆の生き方をしてみることで、きっと、見える世界はガラリと変わる。
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「どうして早起きするの?」とよく訊かれる。
これまでは、自分の時間を確保したいから、やりたいことをやりたいから、昔からの習慣だから、といろいろな理由を説明していたけれど、「夜みんなでお酒飲みながらわいわいやっている時間に、さっさと寝ているのは寂しくない?」と思い始めてから、少しだけ考え方が変わった。
もちろん、睡眠時間はほしい。
とくに私は8~9時間は眠りたいほうなので(そうじゃないと、1日使い物にならないことも多いから)、それを下回ることはなるべく避けたい、と思ってしまう。
ただ、夜22時には布団に入り、眠りに落ちるのを待っていると、ほのかにリビングの音が聞こえてくる。
ああ、楽しそうだなあ。
笑い声、皿やコップなどの食器があたる音、音楽、歌声、その他もろもろが、さざなみのようにドア下を通って侵入してくるのがわかると、飛び起きて仲間に加わりたくなってしまう。
これまでの私は、考えなかったこと。
どれだけ楽しそうな夜がそこにあっても、私にとって大切なのは充実した朝だから、ずっとその美味しさを味わうことはないだろうと思っていた時間。
一度味わってしまったら、またその楽しさを甘やかに反芻したくなってしまう。
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それと同じように、これまで「考えること」や「書くこと」も大好きだったけれど、あえて何も考えないし書かない時間をとってもいる。
考えない自分。
書かない自分。
そして、考えたくなったら考えて、書きたくなったら書く自分でいることに、柔軟さを感じる。自由がそこに寝そべっている気がする。
そのままの、ありのままの自分でも、愛されている気がするのだ。
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もしもいまこの瞬間に、なんだか生きにくいと感じているあなたが、今この文章を読んでくれているのだとしたら、あえてこれまでの自分では絶対に選ばなかったような選択肢を選んでみるのはどうでしょう。
昼間からお酒を飲んでみるとか。
邦画ばかり観るなら洋画を観てみるとか。
辛いものが苦手なら激辛ラーメンを食べてみるとか。
そのままの自分で、そして、たまには枠線からはみ出た自分を見てみる。何も起こらないかもしれないし、何か、素敵なことが起こるかもしれない。
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