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「生きる意味」なんてないんだとしても

お前、何回言ってんだって話なんですが、あらためてもう1回カメラをやってみたくて、ゆるゆると始めました。前回無謀にも一眼レフに手を出し挫折した経験がありながら、再チャレンジです。

失敗を踏まえ、今回は「無理せず、撮りたいと思ったときに、撮りたいだけ」を軸に、身近な日常を自分の視点で切り取るようなイメージで。日記の延長として、noteにも記録していきたいと思ってます。

最近、私はずっと、働く女性が書く力強いエッセイを読みたくて、探しまくっては手当たりしだいに読みまくってます。MOTHERHOUSE代表兼デザイナーである山口絵理子さんや、漫画家ヤマザキマリさんのエッセイなど。

たとえ、生まれてきた意味や生きる意味なんてないのだとしても、自分のやりたいことや使命だと言えるものを見つけ、ただただそれに没頭していく生き方をしたい。新しいことを始めてみようと腰を上げられたのも、吸収したあらゆる言葉や価値観のおかげです。

すこし、停滞モードでした。不要なものを手放して、新しい環境へ自ら飛び込んで、意識的にゼロへ戻ろうとしてきました。捨てて、捨てて、捨てて、スケジュールにも余白をつくって、買物へ行く頻度も減らして、限りなく自然体で何もない自分に帰るようにして。

このタイミングで、働く女性の哲学にどっぷり浸かりたくなったのも、きっと、そろそろ動き出す頃合いなのだと教えてくれているのかもしれないな、と。

未経験でいきなりフリーランスという世界へ飛び込んだ瞬間、私の心の中にはきっと、「私にしかできないオンリーワンな仕事をしたい」という欲望があったのだと思います。

文章を書くこと、人の話を聞かせてもらい咀嚼すること、新しいものを知り世界へ伝えていくこと。

それでも、口では格好良いことを言っておきながら、実際のところ、掲げる信条に現実がついてきているかと言われたら、自分でも違和感だらけでした。もっと、できるはず。もっと、やれることがあるはず。そう思いながらもスキルや気力が足りていないと感じることばかりで、心の片隅はいつも確かに焦っていたんです。

いつだって逃げたいけれど、でも、やっぱり逃げたくない

私は私をやめたくない。生きることを止めたくない。私にしかできないことがあると思っていたいし、誰に何を言われたとしても、私だけは私を信じていたい。

痛いと思う。青いと思う。そして、甘いとも思う。ほんとうに、今更、何を言ってるんだよと呆れられ、愛想を尽かされても仕方がないと思う。

それでも、また自分の足で立ちたい。これぞと思う何かを見つけるために、動き出したい。たとえ、ほんとうの「生きる意味」なんて、どこにもないのだとしても。

山口絵理子さんやヤマザキマリさんのエッセイは、読むだけで活力をくれるし、前に進む勇気をくれます。「やりたいことを見つけたいけれど、思うように動き出せなくて自分が嫌になっている」……そんな方にこそ読んでほしいです。一番のおすすめは、山口絵理子さん「自分思考」です。ぜひ。


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