![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/44638654/rectangle_large_type_2_f655e2a239f4e7329acbf7f3b875a84a.png?width=800)
ひとり時間の豊かさで決まるもの
ひとりで過ごす時間にも豊かさはある。「ひとりでいる状態」そのものに対しネガティブな印象がつきまといがちだけど、誰かといっしょに過ごす時間と同じように自分と過ごす時間も大事。ひとりじゃないと広げられない思考がある。どれだけ豊かなひとり時間を過ごしたかで深みが決まるんじゃないかな
— 北村有 | 偏愛ライター (@yuu_uu_) February 2, 2021
ひとりでカフェやファミレスなど飲食店に行ったり、映画館や美術館や水族館など「(なぜか)複数人で行くのが前提とされている場所」にひとりで行ったりすると、いわゆるパリピ勢からバカにされる風潮がある。
ひとりで行動している=一緒に行動してくれる友人や家族がいない、にいつのまにか変換されてしまうのだ。確かにそれは間違ってないし実際そうなんだけど、その是非は置いておいて、ひとりで時間を過ごすことの何が悪いのか?と思ってしまう。下に見られる由縁がわからない。
パリピ勢がひとり行動勢をバカにするのと同じくらい、私たちも「誰かと一緒じゃないと何もできない可哀想な人」とバカにしている節があるので、同じ穴のムジナだったりする。仲良くしようぜ。
▼
ひとりじゃないと考えられないことがあるし、深められない思考があると思う。
これからどうやって生きていこうか、とか。今の仕事をどうやって発展させていこうか、とか。仕事に限らず、プライベートなことだってそうだ。このままひとりで過ごすか、それとも、パートナーを探す努力をするか。家庭を築くか。ひとまず、友人を増やす努力をしてみるか。
ある程度のひとり時間で思考をこねくりまわしてから、誰かとポツポツ話してみると、また違う意見をもらえることもある。ひとりで過ごすこと、誰かと一緒に過ごすこと、このふたつはどちらも尊く大切な時間だ。欲張りなわたしはいつだって良いとこ取りをしたいので、がっつり取ったひとり時間で熟成させた思考でもって、人とは深く豊かな会話をしたいと思っている。
傍から見たらバカみたいな話であっても、ムダな時間だと思われてしまっても、別に構わない。過ごした時間の質なんて、自分にしか断定できないのだから。「お前の時間の使い方はムダばっかり!」ってどこの誰とも知らない人に指つきつけられたとしたって、ハア?って首を傾げたくなる。そんなの、他人が決められることじゃない。
ひとり時間の過ごし方で、豊かさや深さは決まる。「何の」豊かさや深さが決まるのか、そして、質の善し悪しについても自分で決めていい。ついつい忘れがちになるけど、今この瞬間の時間や人生は、つねに私のものなので。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。サポートいただけた分は、おうちで飲むココアかピルクルを買うのに使います。