見出し画像

ひとり時間の豊かさで決まるもの

ひとりでカフェやファミレスなど飲食店に行ったり、映画館や美術館や水族館など「(なぜか)複数人で行くのが前提とされている場所」にひとりで行ったりすると、いわゆるパリピ勢からバカにされる風潮がある。

ひとりで行動している=一緒に行動してくれる友人や家族がいない、にいつのまにか変換されてしまうのだ。確かにそれは間違ってないし実際そうなんだけど、その是非は置いておいて、ひとりで時間を過ごすことの何が悪いのか?と思ってしまう。下に見られる由縁がわからない。

パリピ勢がひとり行動勢をバカにするのと同じくらい、私たちも「誰かと一緒じゃないと何もできない可哀想な人」とバカにしている節があるので、同じ穴のムジナだったりする。仲良くしようぜ。

ひとりじゃないと考えられないことがあるし、深められない思考があると思う。

これからどうやって生きていこうか、とか。今の仕事をどうやって発展させていこうか、とか。仕事に限らず、プライベートなことだってそうだ。このままひとりで過ごすか、それとも、パートナーを探す努力をするか。家庭を築くか。ひとまず、友人を増やす努力をしてみるか。

ある程度のひとり時間で思考をこねくりまわしてから、誰かとポツポツ話してみると、また違う意見をもらえることもある。ひとりで過ごすこと、誰かと一緒に過ごすこと、このふたつはどちらも尊く大切な時間だ。欲張りなわたしはいつだって良いとこ取りをしたいので、がっつり取ったひとり時間で熟成させた思考でもって、人とは深く豊かな会話をしたいと思っている。

傍から見たらバカみたいな話であっても、ムダな時間だと思われてしまっても、別に構わない。過ごした時間の質なんて、自分にしか断定できないのだから。「お前の時間の使い方はムダばっかり!」ってどこの誰とも知らない人に指つきつけられたとしたって、ハア?って首を傾げたくなる。そんなの、他人が決められることじゃない。

ひとり時間の過ごし方で、豊かさや深さは決まる。「何の」豊かさや深さが決まるのか、そして、質の善し悪しについても自分で決めていい。ついつい忘れがちになるけど、今この瞬間の時間や人生は、つねに私のものなので。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。サポートいただけた分は、おうちで飲むココアかピルクルを買うのに使います。