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夢をかなえるコツは「他人事にする」ことかもしれない

「そんなに一生懸命ノートとって、きもちわるい」

小学生のころだ。クラスメートにそう言われた。女の子だった。いまでは顔も名前も思い出せないから、仲が良かった子ではないのだろう。投げつけられた言葉だけが、ふわっと浮かび上がってくる瞬間がある。

周りにいた子たちも、その言葉に同調した。

文字を書くのが好きなんて理解できない、作文が好きなんて意味がわからない、変わってるよね

年齢なんて関係ない。10歳にもなっていない子どもだとしても、自分と違う人間が目の前にいたら、急いで他の仲間を探してバカにしないと、糾弾しないと、排除しないと、心を落ち着かせていられないのだ。あの子たちは弱かった。大人になった今ならわかる。

でも、当時は、わからなかった。

「あ、変なんだ」と思った。文字を書くのが好きな私は、変。作文の時間が好きな私はおかしい。本を読むのが好きで、休み時間は図書館で過ごすのが特別だった私は異常者。

それから20代後半まで、「書くことを仕事にする夢」から逃げた。距離をとって、見ないフリをした。なかったことにした。

私は普通。私は変じゃない。そう思いたかった。書くことを極めようとすることは、イコール自分を自分で異常者と認めることと同じだと思っていた

2018年。

インターネット上で「オンラインサロン」が流行りだし、さまざまなジャンルで乱立した。当時私はPC教室で講師をしていて、時間に余裕がありすぎる仕事だったので、生徒さんを指導しながらSNSを回遊することもわけなかった。

見つけたのはたまたまだった。はあちゅうさんのオンラインサロン。

私はもともと彼女の本が好きでよく読んでいたので、「はあちゅうさんのオンラインサロン始まるんだ……」と思った瞬間には、募集開始日時をチェックし、グーグルカレンダーに登録していた。運良く入会がかなった瞬間、ホッと安心したのと同時に、これから何が始まるんだろうとワクワクし、少しこわかったのも覚えている

それからはまさに怒涛。流れるように日々が過ぎていく、とはこのことかと振り返ると思う。

サロンにはいろいろな人がいた。住む場所も仕事も年齢も性別も立場もバラバラで、ただひとつ共通していたのは、みんな「何かを変えたい、挑戦したい」って気持ちを持ってそこにいたこと

北海道から東京へ通ってはいろんな人と知り合い、話をした。

そして少しずつ、少しずつ、変化していった。

「フリーランス」という働き方があること。「Webライター」という仕事があること。組織に属せず、自分の力で仕事をとって生きていく人生を、今からでも選べること。実際にそういう人たちはすでにたくさんいること。

知らなかったことをたくさん知った。

気づいたら、こう考えている自分がいた。

「諦めていた"書く仕事に就く"って夢を実現するために動いたとしたら、この先どうなっていくんだろう?」

まるで他人事みたいだった。人がつくった映画やドラマや演劇の開幕を見届けているような、自分が主人公ではない物語を鑑賞しているような。不思議な感覚だった。

ワクワクしていたのだ。私は、私の人生に。人生が動いていく感覚に。

これからどうなっていくのかは、他の誰でもない、この私の選択ひとつで変わっていく事実そのものに

気づいたら「退職」と「独立」を選んでいた。

こわかったし、不安だったし、まさに先行き真っ暗で何度も何度も後悔した。頼れる実家がなかったら、支えてくれる家族や友人がいなかったら、早々に諦めてPC講師か葬儀屋に戻っていたはずだ。

それでも行動を起こせたのは、ある意味「他人事感」を極めたおかげかもしれない。人生の監督であり脚本家であり役者でもある私。だけどそこには確実に、鑑賞者としての私もいる。

そこの演技はそうじゃない。ストーリー展開が稚拙だ。わざとらしすぎる。そこはもっと思い切って踏み込まないと……。

筋書きを決めるのは私だ。OKを出すのもNGを出すのも私だ。実際に動き、失敗するのも恥をかくのも私だ。

それでも確実に、「物語を見て楽しんでいるだけ」の、視聴者としての私がいる。私は、私を楽しませるためにこの人生を動かしている。ある意味、他人事のストーリーとして楽しみながら見ているからこそ、ある程度の無茶もできるのかもしれない。

今でもまだ、物語の途中だ。

必死であがいて、死にものぐるいで、泥臭く宙をかいている。

何が何でも、ハッピーエンドにするために。


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