自分を大切にしちゃいけないと思ってた
たっぷり時間を使ってゆっくりお風呂に浸かったり、ちょっと質の良いスキンケアグッズを買ったり、テンションの上がる部屋着を身につけたり、自分へのご褒美でスイーツを食べたり、背伸びした外食をしたり。
そういうの、ずっと、しちゃいけないと思ってた。
疲れたときは「疲れた!」と言ったり、やることがあるのにダラダラしたり、自分から行く約束をしたのに直前になって面倒になったり、朝ごはんを食べずに済ませちゃったり。
自分を甘やかすこと。大切にすること。自分の希望を最優先にすること。
ぜんぶぜんぶ、しちゃいけないと思ってた。自分を大切にしちゃいけないって、思ってた。
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お金を使うときなんかも、ずっと罪悪感がある。
お金を使うことは悪いこと、無駄遣いは悪、常に節制をして貯金をすることが善で正義。だから、自分にご褒美なんてとんでもないとずっと思ってきたし、友達と楽しく過ごした飲み会代とか、誕生日を祝うプレゼント代とか、100%陰りなしに支払えた試しがない。
そんな自分もケチくさく感じられて、嫌だった。自分の考え、行動、言動がどれも世間の一般常識から外れてるんじゃないかって不安になって、自分を律し、なるべく人と交流せず、引きこもり体質になることで心を守ってきたのかもしれない。
私の行動力にはバイオリズムがあるけど、行動的になってしばらく後にいきなり内へ籠もり始めるのは、大体なにか手痛い失敗がきっかけ。「自分が嫌い」という感覚よりは「そもそもの存在が"異"だから大人しくしてなきゃいけない」という感覚に近い。
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フリーランスになって、東京へ出てきて、シェアハウスで暮らして、たくさんの人と会って話して、本を読んで、少しずつ少しずつ、そういう感覚が滑らかになってきた。
こんな自分でも受け入れ、「いいじゃん!」と言ってくれる人たちがいること。自分を徹底的に甘やかすことこそ正義だと、その生き様で教えてくれる人たち。節制や我慢こそが本当は悪で、自分のやりたいことに忠実に突っ走り、まずは自分を満たすことが周りのためにもなると知っている人たち。
東京の良いところは、枠にはまろうとしない人たちがたくさんいるところだと思う。個性が定量を突破して溢れ出しちゃってる人たち。それをお互いに良しとして認め合ってる人たち。我慢もいいけどそればっかりじゃつまんないじゃん! と自然に言える人たち。
まだまだ私は素直に自分の声を聞けない。「頑張らなきゃ」「このままじゃだめだ」が口癖になってる。自分に厳しくする習性が抜けない。だけど、自分を好きになる努力はできる気がする。そして、自分を好きでい続ける努力もできる気がする。
試しに今日が終わったら、自分へのご褒美を用意することにする。甘やかす、とろとろに、大切にする。誰もそれを咎める人なんて、いないから。
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