わたしは時おり、塞がる。
スマートフォンを持たずに、本とノートとペンだけを持ってふらっと近くの図書館やカフェへ籠ることが、わたしにはよくある。
感覚としては、自分専用のシェルターへ粛々と潜り込む心持ちだ。あえて外の世界に触れられない環境をつくって、「もう満足!」となるまでひたすら本を読みつづけたり、考えごとをしたりしている。
わたしは時おり、塞がる。
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気にして欲しいけれど、放っておいても欲しい気持ちがわかる人となら、一緒に美味しくご飯が食べられそう。
天邪鬼だし、めんどうな気質だということは重々承知なのだけれど、自ら望んで塞ぎ込みにいっているにも関わらず、寂しくなって出てきたときは、あたたかく出迎えて欲しいと思ってしまう。
ひとりの時間は必要ですが、充分なチャージを終えたら一丁前に寂しくもなる人間。なんともめんどうな生き物。
それでも、生きていたいと思うし、生きるのが楽しいとも思えるので、概ね幸せなのだ、わたしは。
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シェルターの中でひとり思索を巡らせていると、地に足着かない不思議な心地がしてくる。ここにいるのにいないというか、いないのにいたがっているというか。
スマートフォンが手元にないというのもポイントで、連絡を取りたくても取れないという不自由さがまた、シェルター感を増幅させる。このまま災害かなにかが起きて、ほんとうに誰とも連絡が取れなくなったらどうしよう、と夢想したり。
わたしは小さなころからひとり遊びがすきで、空想も夢想も被害よりの妄想も達者だった。当時に逆戻りしたみたいで、それもまた嬉しかったりするのだ。
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いつも異常に取り留めのない文章を書いてしまったけれど、許してほしい。いま、シェルターにいるんです。塞がっている最中なんです。
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