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「面倒くさい」はレベルアップの予兆

「あ、めんどくさい」って思った瞬間は、自分がレベルアップする寸前の予兆・サインのようなものだと思うことにしている。

わたしは大変な面倒くさがりやで、朝に目が覚めて起きあがるときも、お風呂にはいるときも、遊びに出かける直前も、身体がダルくて動けないときも、苦手な作業が待っているとわかっているときも、いろんな物ごとが面倒くさい。

日常の中には「あ、めんどくさい」と思うポイントがたくさん、それはたくさん散りばめられている。

おそらく、この面倒がるサインをキャッチするのだけは得意で、才能だ。才能は活かさないともったいない。せっかくの才能を活かすためにはどうすればいいのか。

これを、ひとつのサインだと捉えればいいと、ある日おもいついた。

どんなに楽しみな予定だったとしても、外出前は荒れる。決して目に見えて荒れるわけではないけれど、心の中は荒れに荒れている。

「行きたくない~~~行きたくない~~~~~~~!」とギリギリまでうだうだする。イヤイヤ期真っ只中の3歳児もびっくりの駄々のこねっぷりだ。なにか奇跡でも起きて(たとえば電車が2時間遅延しているせいで何をどうやっても間に合わないとか、不要不急の外出は避けてくださいと政府からお達しが出るとか)、行けないまっとうな理由が出来上がるのを心待ちにするほど、わたしはいつまでもどこまでもうだうだする。

そんなミラクルが起ころうものなら、ものすごくものすごく喜んでしまう人間だ。どんなに冷たく非道だとおもわれようが、そうなのだから仕方ない。もう開き直るしかない状態だ。

この「あ、めんどくさい」をサインとしてキャッチする。

自分が成長する前兆、レベルアップする予兆だと思うことにするのだ。

めんどくさい、を感情としてキャッチした瞬間に、「これを難なく乗り越えたら自分は人類最強」と思い込む。

思い込みの力というのはすごいものだ。人間の脳はとても騙しやすい。「あ、めんどくさい」と思った瞬間に食い気味で「これをやれば1レベルアップ」とRPG風に変換するのだ。

朝、起きあがるのも、家事をするのも、出かける準備をするのも、ちょっと腰が重い仕事をするのも、この反射神経さえ鍛えれば簡単にこなせるようになる。

フットワークも軽くなるし、悩む時間もなくなるので時短にもなるし、一石二鳥…………。

と、そこまで考えたところで、「それができたら苦労しない」と小さなわたしが声を上げた。まったくもって同感だ。それができないから苦労している。

しかし、この「面倒くさい=レベルアップの予兆」説はそこまで的外れでもないと信じたい。もう少し再現性高く、普遍性をもたせられるようになるまで、ブラッシュアップが必要かもしれない……。


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