「いいじゃん!」の輪にハマりにいく
「結局、自分がしてほしいことを相手にしてあげることが、良質なコミュニケーションの起点になるよなあ」と思うことが最近多くなった。
その代表格が、話は否定せずに全肯定で聞くこと。「いいじゃん!」「面白いじゃん!」を枕詞に、好奇心ありありの前のめりで話を聞くことが、相手の舌をどんどんなめらかにしていく。自分の話すこともそんな姿勢で聞いてほしいと思うし、ということは、自らそんな姿勢を示し続けることによって好循環が続いていくはずなのだ。
言葉にしてしまえば当たり前のことだけど、これ、(自戒も含め)できていない人が多すぎる。日本人の自己肯定感の低さを考えると納得なわけだけど。のっけから否定の姿勢で話を聞く人が多すぎるから、自信をもって自分の話ができない人が増えたんだと思う。
わたしの例を出すと、「好きだな~~」と思う小説や漫画やアニメの話をしようとすると、対象の作品に触れてもいない人から見当違いな否定をされることが、結構ある。もしくは、あからさまに「知らないです」「興味ないです」でスルッと流されてしまうか。
それには私のトーク力のなさも大いに関係しているし、そもそも話す相手を間違えているのも大いにあるのだろうけど。そんな場面に出くわすたび、「こんなに好奇心や興味関心が低い人がこの世にいるのか……」と唖然とする。見たり読んだりしていないもの(もしくはチラッと見たり読んだりしただけのもの)に対してマイナスな判断をするのが早すぎるんじゃ……と勿体なさを感じることもある。
もっと「それいいじゃん!」で会話や世界をまわしていきたい。自分の知るもの、納得できる範囲のものだけに囲まれていたら、閉じきった狭い世界のままで死んでいくことになる。それでいいんだろうか……?たとえ少し理解しにくいもの・受け入れにくいものであったとしても、自分から「面白そう!」と思うことで「味わえる範囲」が広がっていくのに。
世界を狭くして、そこに自分を閉じ込めて、体育座りして「なんだか最近つまらないな」と嘆いている人が多すぎる気がしてならない。蓋はすぐ真上にあるのに、誰も抑えつけていやしないのに、自分の意思でいくらでも世界を広げていけるのに……。何事も否定からはいる人を見ていると、勿体なさでじれったくなってしまう。いくらでも楽しく、面白くできるのに!
それでも、こんな私の意見でさえ「閉じた狭い箱の中の声」になってしまうのだ。見るところから見たら。せめて輪をつくりたい。「いいじゃん!」で広げていく好循環の輪を。そこに自らハマりにいく意識をもつだけで、いくらでも笑顔でいられる世界。私たちは生きている。
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