「普段はしないことをする」の日

自己効力感やマインドフルネスについての本を最近よく読んでいる。共通して出てくるのは「普段はやらないことをやってみよう」という言葉。どんなに小さなことでも、やってみると気分が変わって良い作用があるらしい。

今日は、この「普段はしないことをする」の日にしてみようと思い、いろいろと、普段はしないことをしてみた。

①目的地ではない駅で降りてみた

まったく何の意味もないし無駄なことなのだけれど、目的地に向かう途中で、まったく用事のない駅で降りてみた。

名前は知っていて、美味しいカフェやパン屋さんがたくさんあると聞いてはいて、いつかは巡ってみたいと思っていた場所だった。こういう「いつか」はいつまでもやってこないというジンクスがあることも同時に思い出し、少し時間に余裕もあったのでふらっと降りてみることに。

この、「意味もない」「無駄なこと」「ふらっと」という、取り留めもない感覚が時には大切なのかもしれないとじわじわ感じた。

実際、美味しそうなカフェやパン屋さんの他、雑貨屋さん・文房具屋さんまで開拓できたので、結果的に何の無駄にもならずむしろ有益でしかなかったのである。

過程を無視して「どうせ無駄だ」「意味のないことだ」と、行動を起こす前から断罪することのもったいなさを改めて痛感した。

②ファミレスでデザートを頼んでみた

これまた小さなことを、と思われることを覚悟で書くけれど、私は普段ファミレスに入ってもデザートは極力頼まないようにしている。ドリンクも然り。

それはメイン料理に集中したいという気持ちと、少しでも節約になればいいなというケチ根性からきている。

けれど、今日は「普段しないことをする日」なので、思いきってデザートまで頼んでみた。想像できる味だったけれど、だからこそ安心した部分が大きい。馴染みのものが変わらずそこにある安堵感は、思った以上に精神を安定させてくれる。

③本を迷わずに買ってみた

毎日といっていいほど書店に通っている。買う日もあれば買わない日もあるのだけれど、買う日はもっぱら、どの本を買おうか小一時間悩むことになる。

単行本、文庫、新書など形態問わず、いま本当に読みたい本なのか、買うのはいまで合っているのか、本当に私が求めている本なのか、「はじめに」や「あとがき」を読みながらああでもないこうでもないと一人、悩み続ける。

その「悩む」をさっぱりやめてみた。

これまでの「悩む」は、もちろん内容の精査や値段の妥当さも加味しての「悩む」でもあったのだけれど、幾分か「悩むための悩み」といえる部分もあったのだと気づいたのだ。

悩むための悩み、楽しむための悩み。

悩むことそのものを楽しんでいた。どんな本を買おうか、どの本を買おうか、そもそも買うか買わないかを悩んでいる時間は正直楽しいとしか思えない。あえてその「悩む」をやめてサッとレジに持っていってみることで、大して悩まなくても欲しい本(かつ自分に必要な本)を見極めて購入することができるとわかった。

楽しむための悩みももちろん娯楽だけれど、時間節約のためにも、たまには「悩む」をやめて購買活動してみようと思う。

「普段はしないことをする」の日、なかなか、楽しい。うん。


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