いつになったら「いいね」や「フォロワー数」が気にならなくなるんだろう
私は常々、「数字ばかり追いかけても意味がない」「いいねやフォロワー数ばかり多くても人格には関係ない」といった意見は、TwitterフォロワーやYouTubeチャンネル登録者数が万人超えの人が言わないと説得力がないと思っている。
まさに「何を言うか」よりも「誰が言うか」が大事の世界で、Twitterフォロワー100人なのに数字がすべてじゃないとらしいことを言っても始まらないのだ。
私も、何度も何度も、そう思おうとしてきた。
数字なんて関係ないって。
いいねやRT数が多くても私が凄いわけじゃないって。
数字ばかり追いかけても虚しくなるだけだって。
何度も自分に言い聞かせて、発信そのものを楽しもうと意識を変えようとして、何度も何度も、失敗してきた。
だってやっぱり気になっちゃうよ。
1時間前にしたツイートにどれだけ反応がついてるか。
昨日投稿したnoteがどれくらいの人に読まれてるか。
ひと月前と比べてフォロワーが減ってるか増えてるか。
いつになったら「いいね」や「フォロワー数」が気にならなくなるんだろう。
「発信を楽しむ」って?
SNSのフォロワー数が多い人たちは、自分らしく発信を楽しんでいる。少なくとも私にはそう見える。その過程において、何度も何度も「いいね」や「フォロワー数」に振りまわされ、そしてそれを乗り越えてきたんじゃないだろうか。
たとえフォロワー数が5万人や10万人だとしても、まだまだ「数字」が気になる人もいるのかもしれない。それでも、「自分らしい発信」を楽しんでいるように、私には見える。
そして、多くの人に見てもらうためには、発信を楽しむ気持ちが根底に必要な気がするのだ。これは想像で仮定だけど、きっとそうだ。
じゃあ、発信を楽しむって、どうすればいいんだろう?
これも想像で仮定だけれど、きっと「発信」を楽しむんじゃなくって、「交流」を楽しんだほうがお互いにwin-winなんじゃないだろうか。
「交流」を楽しむ、にシフトする
SNSでの発信がつらくなるメカニズムは、きっとこうだ。
①有益な発信をしようとする
↓
②ネタを探しても見つからなくなる
↓
③発信するためにネタを探すようになる
↓
④数字を稼ぐために発信するようになる
↓
⑤数字が追いつかないとつらくなる
つまり「発信」に重きを置きすぎているから、つらくなる。ここでいったん、SNSとはなんぞやという基本に戻ってみる。
SNSとは人と人とのつながりを促進・サポートする、「コミュニティ型の会員制のサービス」と定義される。あるいはそういったサービスを提供するウェブサイトも含まれる。SNSの主目的は、個人間のコミュニケーションにある。利用者はサービスに会員登録をすることで利用できるが密接な人の繋がりを重視して、既存の参加者からの招待がないと参加できないシステムになっているものも存在する。(Wikipediaより引用)
そうだった。
そもそもSNSって、個人が有益な情報を発信し有名になるためのプラットフォームではない。あくまでそれは結果や副産物であって、SNSの主目的は個人間のコミュニケーションにあるのだ。
一方的な発信ばかりしていても埒があかないのだ。コミュニケーションしなければ始まらないのだ。交流を楽しむことが本質なのだ。
日ごろ友達と会ったり何気ない会話をするときに、必要以上に「外部からの反応」を気にするだろうか?
そう考えたら、はじめて「いいね」や「フォロワー数」がちょっとだけ、ほんとうにちょっとだけ、気にならなくなった自分がいた。
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