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無責任につぶされないで

やりたいこと、達成したい夢、想像しただけでドキドキすること。私にもある。ずっと蓋をして見ないようにしている夢、ときどき取りだしてはひとりで眺めて、ほんのたまに気が向くと、目の前のひとに話してみたりして。

自分の本をつくってみたい。
紙の雑誌をつくってみたい。

私にとって、夢に立ち向かうことは、「やってみたい」に向き合うことは、同時に責任を負うことでもあった。

やりたいと言ったからにはやり通さないといけない。興味があると言った以上、その興味関心は持ち続けないといけない、って。

冷めやすい熱量はときに周囲のひとも自分自身をも傷つけることになる。

「なんて無責任な!」って、批判を浴びることになる。

でも、それでもいいから、やってみたいかもしれない。

無責任、という言葉に外堀を埋められて、身動きできなくなってしまう経験を何度もしてきた。

熱しやすく冷めやすい、興味関心が移ろいやすく気まぐれな私は、何度もひとにそう言われてきたし、自分でも実感してきたのだ。だからこそ、強く固い蓋をして、開かないようにしてきた。また、批判されるのがこわいから。

でも、無責任になることをこわがって、逃げ続けて、当たり障りのない範囲であたたかいぬるま湯に浸かり続けていると、ふやけた指先が当たり前になってしまう。

せっかく、やりたいことがあるのにね。
大変かもしれないし、つらいかもしれない。泣きたい気持ちになるかもしれないけれど、それでも、達成したその先の景色はすばらしく美しいかもしれないのにね。

逃げない、というのは、それだけで才能だ。

先日、文学フリマという催しがあった。

私は仕事の関係で行けなかったのだけれど、多くのサークルや個人が自作の本を持ち寄り、販売するフリーマーケットだ。とてもとてもキラキラしていて、楽しそうだった。

友人が実際に本をつくり、出店していたのを見たのも、大きかったのかもしれない。

やっぱり、本をつくってみたい。
雑誌をつくって、この手でぱらぱらと読んでみたい。

無責任という言葉につぶされないうちに、この、やりたい気持ちに素直に乗っかって、行き着くところに行ってみたい。

まずは、何からはじめようかな。


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