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来年も再来年も、家族と乾杯したいから

缶チューハイを飲む私を見て、母は少し驚いたように「あんた、お酒飲むの?」と言った。大学時代から一人暮らしをしており、社会人になってからは実家に帰る頻度も少しずつ減っていって、久々に家族みんなで集まりお寿司を囲んだタイミング。確か、数年前のお盆の時期だったと思う。

缶チューハイを飲む私を見て、父は「ビールは飲めないのか?」と言った。お酒は飲むけれど、甘いチューハイが好きでビールは飲めない私は、子供以上大人未満? いや、きっと、母や父にとっては何歳になろうと子供のままなのだろう。

いつの間にかお酒を飲むようになり、親の知らない交友関係が増えていき、報告しない仕事も増えて、でも、どこまでも家族は家族のまま。離れて何年経ったとしても、お盆や正月に会えばあっという間に家族が戻ってくる。

当たり前で、でも、当たり前じゃない。

新卒で数年勤めた葬儀会社を退職し、今のようにフリーランスとして生計を立てる前までの数年間は、実家で暮らしつつアルバイトや契約社員で食いつないでいた。

実家があって本当に良かったと思ったし、支えてくれる家族がいて心底幸せ者だと思っていたのに、早く自分のやりたいことを見つけて「外」へ出ていきたいと願っていた当時の気持ちを、私はまだはっきりと言葉にできない。

家族のことはずっと好きで、今も大好きだ。だからこそ、近くにいたらだめだとずっと思っていた。

「フリーランスでやっていく、そして東京に行く」

三十路を手前にそう伝えたとき、母は何を思っていたんだろう。反対はしなかった。苦言も呈さなかった。私が小さい頃から父は自営業をしており、東京で忙しく働きつつも生活が崩れることはなかったから、きっとその前提があったからこそ「親が親なら子も子だ」と思ってくれたのかもしれない。

「大変になったら戻ってきなさいよ」

そう送り出してもらって、早くも1年が過ぎた。

正月に帰らなかったことをここまで後悔したことはない。新型ウイルスのせいで気楽に帰省することもできなくなった。万全に万全を期して今年のお盆は家族の顔を見に帰ったけれど、数日で東京へ戻った。万が一にも、東京から来た私が家族へうつすことだけは、あってはならないと思ったからだ。

いつもみたいに何も考えずバカみたいに笑い合うことが、果たしてできていただろうか。必要以上に接触せず、一定の距離を開けることを心がけ、外出時はマスクをし、小まめに手洗いすることや、除菌アルコールを見るたびに手にこすりつける生活。そうだ、私たちの生活は変わってしまった。それは地方でも変わらなかった。この状況がすべてなかったことになり、またマスクなしで外へ出られる日が来ることはないだろう。少なくとも、この数年のうちは。

「久々に家族全員揃ったね、乾杯~!」

今年のお盆は帰れた。じゃあ、年末年始は? 来年のお盆は? 何も気にせず帰れるようになっているのだろうか。この乾杯は、これまでの乾杯とは明らかに違っていた。当たり前で、でも、当たり前なんかじゃない。

「次はいつ会えるだろうねえ」

飛行機にさえ乗れば、ものの数時間で帰れる距離だ。それなのにこんなにも遠い。次にまた家族全員、元気に会える保証なんかどこにもない。それは何も新型ウイルスとは関係のないことかもしれないけれど、ふとした気の緩みが命を奪うかもしれない可能性は上がってしまった。

少し神経質だと思われるくらいに、対策は徹底的にしていくつもりだ。来年も再来年も、私は、家族と乾杯したいから。


#また乾杯しよう


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