「正当な」頼りと甘えが生みだすもの

正当に頼り頼られ、甘え甘えられる営みが生み出してくれるものは、誤解やすれ違い、勘違い、齟齬のないなめらかでスムースな人間関係だと思う。

頼るのも頼られるのも、甘えるのも甘えられるのも私は苦手だ。

根っからの個人プレイヤーなので、自分のことは自分で済ませようとしてしまうし、その方が楽だと思ってしまう。

それでも、シェアハウスに住んでいながらそんなことは言っていられない。

洗濯をするにも料理をするにも掃除をするにもゴミを出すにもお風呂に入るにも洗面所を使うのにも、言葉の確認なしには進まないからだ。

たった1人でも個人プレイヤーがいれば、一気に環境は崩れてしまう。

1人で買って帰るには食材が重すぎるとき、私なら持って帰られる量しか買わない(上手に頼れる人は、手伝ってくれそうな人にお願いして半分持ってもらう)。どうしても朝決まった時間に洗面所を使いたいとき、私なら誰よりも早く起床して、ぶつからない時間帯を狙って使う(上手く甘えられる人は、「すぐ終わらせるから使わせて!」とお願いして譲ってもらう)。

言葉を尽くし、しっかりと相手を見ながら適切な配慮を忘れなければ、頼ってもいいし甘えてもいいのだということが、最近までわからなかった。

シェアハウスに住むには向いてないかもしれない、やっぱり一人暮らしの世界に帰ったほうがいいのかもしれない。

そう思い悩むこともあった。けれど、なんてことはない。少しだけ勇気を出して、言葉にしてみればいいだけだ。「お願い」とダメ元で言ってみればいいだけだ。断れられて当たり前、受けてくれたらラッキーくらいに精神でいいのだ。断られたらそのまま死ぬと思っていたけれど、よくよく考えればそんなことはないのだから。

コンビニやスーパーへ行く、料理をつくって食事をする、旅行を楽しむ、カラオケやゲームセンターで遊んだり、初めての場所でランチをしたり、そういった一人でもできる活動へ、人を誘って(良い意味で)巻き込める人も私にとっては羨望の対象だ。憧れしかない。

それでも、これからは言葉にしよう。

困ったら困っていると言うのだ。手伝ってほしいと思ったら手伝ってほしいと言うのだ。一人で黙々とこなすことは生活でも暮らしでもない。

「正当な」頼りと甘えが生みだしてくれるもの。その一つ一つを大切に手のひらの上に載せながら、慈しむようにもう一度。目の前の人に頼ってみる。


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