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「美容」や「フェミニズム」について勘違いしたくないこと

誠に遅ればせながら、こちらの1冊をようやく読了しました。

「美容は自尊心の筋トレ」。このタイトルをたまたま目にして以来、ずっと心のどこかに残り続けていて、でも、なんとなく……その場のノリでパッと手にしてサッと読んではいけない本のような気がしたのだ。私には結構こういうことが、よくある。読むべき本を、読むべきタイミングが来るまで大切にとっておく、みたいな。

ようやく読了、と言ったのはそういう意味です。来たるべきタイミングでやっと手にして、やっと読み終えました。やっぱり、今の私に必要なことばかり書いてありました。

もう、書いておきたいことは山のようにあるのだけど……ただひとつ選ぶとしたら、「美容」や「フェミニズム」について、ある種の勘違いだけはしたくないな、ということを書いておきたい。

どういうことかと言うと、男性とか女性とか関係なく、私たちにはあらゆる物事を「選ぶ」「決定する」権利があるということ。男女平等というのはそういうことだと解釈してます。

何歳になっても綺麗であろうと努力すること、年齢相応に自分なりの綺麗を追求しようとすること、美容は最低限でほかに大切だと思えるものにより多くの時間やお金を使い、尊重すること。美容において、私たちはどのスタンスを選んでもいいし、自分の意思や気分で決定することができる。例として美容を挙げたけれど、対象はどれでもいいと思ってます。どんな生き様を選んだとしても、それはその人の意志のもと決定されたライフスタイルなんです。

「フェミニズム」においてもそれは同じで、男女平等を謳うフェミニストが肌を露出する服装を選んだとしたって、やり玉に挙げられ糾弾されるいわれはないわけ。フェミニストだからといって自分の好きなファッションをしてはいけないのか? ヒールのある靴を履いてはいけないのか? バッチリメイクをしてはいけないのか? 自分なりの”女性性”を追いかけ、楽しんではいけないのか?

”女性”を楽しむ権利を自ら捨てることがフェミニズムではない

障害のある子どもを育てながら、バッチリメイク+巻き髪+派手なネイルをしてるお母さんの例が、冒頭に挙げた長田杏奈さんの本に書かれてます。こういう構図があると、少なからず「子どもに手がかかるのに派手にして、自分に手間をかけちゃって」とお門違いな批判を飛ばしてくる人は一定数いるもの。

子どもがいるからって、障害を抱えているからって、自分に手をかけるorかけない選択が制限されなきゃならない理由が分かりません。女ならこうあるべき、妻ならこうあるべき、母ならこうあるべき……。「女性として生まれたから」って理由だけで世間から押し付けられる役割論には、本書に書かれてるように私も心底うんざりします。

せめて、ここから始めたい。

大きく世間を変えるムーブメントを起こすことはできないかもしれないけど、曲がりなりにも文章を書いている職業である以上、「書くこと」で変えられることがあるかもしれない。

「私はこう思う」「私はこれを心地よく感じる」と伝えていくことで、せめて、私の周りからでも勘違いをしてしまう人が減っていきますように


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