選べる立場じゃないのだけれど

お金のため、生活をしていくためだけに、見境なく仕事を受けるフェーズは、もうすでに脱している気がしている。

おこがましいし傲慢かもしれないのだけれど、あえて仕事を選んで余白を生み出している。やっておいたほうが良い仕事よりも、やりたいと思える仕事を。報酬額の多寡よりも、楽しいと思える仕事を選ぶことによって。

選べる立場じゃないのだけれど、選ぶことによって確立させようとしている。生きていくのに十分なお金、これ以上コストを上げなくても満足できる生活水準、そして、余った時間をまるごと肥やしにする意識改革を。

大学を卒業し、新卒で入社した約8年前、早くも「仕事ってこんなものか」と見切りをつけながらひたすら身体を動かしていた。

ある程度ルーティンになった仕事を頭に叩き込んでしまえば、身体は勝手に動いてくれるものだ。身体が動けば仕事は進む。あまり考えることをせず、朝になったら出社して、時間になるまで働いて、夜はお風呂に入ってご飯を食べて寝る、そんな日々を繰り返しながら生きていた。

ふと、考えた。
立ち止まる瞬間があった。

私って、何のために仕事をしているんだったか。

働く意味。人それぞれ、大なり小なり意義をもって目の前の仕事に向かっているのだと思う。

私も、当時はそれなりに野心をもって取り組んでいたはずだった。

それでも、最終的にはやっぱり「お金」と「生活」。食べていくために働いていたし、お金が欲しいから仕事をしていた。

そんな働き方でいいのだろうか。
善悪の問題ではなくって、自分の中での納得感の問題だ。

あの頃みたいに、お金の奴隷になったような日々から脱したくてフリーランスという働き方を試してみたのに、気づけばまた同じように奴隷に甘んじようとしている。

だめだ、と思った。

もう一度立ち止まって、考えたい。
私が働く意味、仕事をする理由。お金だってもちろん大切なんだけれど、それと合わせて、「これのため」にやってるんだっていう意味付けがほしい。

自分のやりたい仕事ばかりをやっていたとしても、ちゃんと幸せに楽しく豊かに生きていけるのか。それを、試してみたい。

現状としては、これまでお付き合いが続いていたけれどマンネリ化している継続案件を中止させたり、単発案件でやりたいと思えるものを中心に受けさせてもらったりしている。

「誰かライターさんいないかな?」と検討ムードになったときに、私の存在が俎上に載るだけでも、とても嬉しい。

何度も言うようだけれど、決して私は「仕事を選べるレベル」ポジションに属しているわけではない。それでも、あえて今のうちからやりたい仕事にフォーカスすることによって、見えてくるものがあるんじゃないかという、これは人体実験だ。

人体実験中でも、お仕事の依頼をいただけたら大変嬉しいので、これはコイツに合いそうだなと思ったらぜひ連絡いただけると喜びます。


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