「分かりやすい」と言われることの是非
「分かりやすいね」と言われることが多くなりました。
完全なる私事ですが、最近パートナーができまして、まだまだお付き合いをはじめて少ししか経っていないのですけど、これからもずっと一緒にいたいなあと思えるひとです。
これまで、服装はもちろんのこと、メイクとか、スキンケアとか、ネイルとか、アクセサリーとか、美容とか、筋トレとか、自分磨きといわれるものには一切興味がなかったのに、最近はむしろ自己投資しかしていないレベル。
自分でも見た目に少しは変化が出てきたのかな?と思うのですが、会う人会う人に「雰囲気変わったねえ」と言われ、事情を知っている方には「分かりやすいねえ」と言われることが多くなりました。
「分かりやすい」と言われることの是非。
ただただ気恥ずかしかっただけのことが、今は心地よく感じられる。「どうしたの?」「何かいいことでもあったの?」そう言われるたびに浮つく心を感じる。
分かりやすい私で良かったのかもしれない、と今なら素直に思えるようになりました。
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新しい洋服を買う。
新しいメイクに挑戦する。
そのたびに、周りからもらう言葉がこわく感じられて、一時期「変化恐怖症」になったことがあります。
私には何もない。いいことなんて何も起こっていない。変化なんてないからどうか安心してほしい。
幸せになってはいけないという勘違いと思い込み、両方に縛られて、負にも正にもいけなくなって、がんじがらめになって、ひとりで勝手につらくなっている。
どこにも救いがないように感じられていました。
変化することはこわくない。第三者に遠慮することもない。仮に私のことをキラキラして眩しいように感じられるひとがいて、妬み嫉みを向けられたとしても、それさえも跳ね除けられるような強い心をもとう。
そんな風に考えられるようになりました。
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私はこれからも、「分かりやすいね」と言われる自分でいたいと思います。
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