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とんぼになっても

死ののちにとんぼになつても海からの風に吹かれてゐるのであつた

柳宣宏『丈六』


「とんぼになつて」ではなく「とんぼになつても」であることが大事だ。

今、人間の生を生きているわたしは海からの風に吹かれている。
これまでも折にふれて海へやって来たわたし。
浜辺では野球部の少年たちがトレーニングしていたり、棒きれが一本突っ立っていたりする。
わたしはここで悩んだり、すっきりしたり、海から何か大事なものを学んだりしてきた。
秋の少し涼しい風が吹いてくる。

生まれ変わったらとんぼって、どうだろう。
けっこう苦労して生きているんだから、来世ではもう少しいい思いをしたいという人もいるのではないか。
今より少しお金持ちになるとか、南の島で暮らすとか、きれいな魚になるとか。それとも、すいすいと秋の空を飛ぶのって気持ちよさそう、と思うだろうか。
もう生まれ変わりたくないという人もいるだろうし、また自分に生まれ変わりたいという人もいるだろう。
そういえば美輪明宏さんは天草四郎の生まれ変わりらしい。昔「オーラの泉」で言っていた。天草四郎から三輪明宏になるなんてすごい。

柳さんは生まれ変わっても柳さんであるらしい。
とんぼでも、カモメでも、棒きれでも、海の風が吹くところに柳さんの魂はあり続けるのだと、この歌は言っている。
生前に詠んだ歌が、その死後、こんなふうに別れの挨拶みたいに響いてくるなんて。

柳さんは亡くなってしまったけれど、歌集をひらけば海があり、そこから風は吹いてくる。
海風に吹かれながら心は遠くへ向かう。
そこに、新しい自分がいるような気がする。

これからは海を眺めるたびに柳さんのことを思うだろう。


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