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【月報2023年11月】元公僕が地域おこし始めてみた件

トップ写真は、太陽の光が眩しかった蓬莱島の写真です。

11月は、
【避難所運営訓練は、避難所運営の為ならず】
【震災伝承から○○を学ぶ】
【もっと良くなる大槌と高校】
【フラボーイ(笑)】
の内容でお送りします。


1.避難所運営訓練は、避難所運営の為ならず

11月9日 避難所運営学習 @大槌学園

あくまでも避難所の一つの可能性です

大槌学園の9年生が行う避難所運営訓練の手伝いとして参加して来ました。

庶務班という主に、避難者名簿の記入や困ってそうな人の対応などを行う班に付くことになりました。

①笑顔の必要性

訓練の当日より前に、訓練で気になることや大切なポイントについて質問を受けたり話し合いをしました。

その時に答えたものの、悩み続けている質問があります。

避難所運営する側は避難者への対応は笑顔にするべきかどうか?と言った質問でした。

自分は笑顔で良いと答えました。

一緒に参加していた地域の人も笑顔で良いと答えました。

なぜ自分がそう思ったかと言うと、笑顔と言うかそう言う表情はそこにいる人に安心感を与えることができると思ったからです。

しかし、災害発生時は誰もが心から笑顔を出せる状況とは限らないので、無理してまで笑顔を作るのは良くないと後になって思いました。

誤解の無いように言いますが、文字では『笑』ですが、笑うことではなく笑むことです。

laughではなくsmileです。

不謹慎な笑いではなくて状況を良くしようとする笑顔はやはり必要な時もあると思います。

自分は笑顔を作るのがすごく苦手なので、全くできないのですが、必要な時には相手の為にも自分の為にも笑顔を作れるようになりたいです。

②避難所運営は千差万別

そして当日は生徒を半分ずつに分けての避難所運営訓練を行いました。

避難所運営に関する細かい内容は省きます。

なぜかと言うと、避難所運営に特化した専門的な知識を持つ必要はあまりないと考えているです。

避難所は、場所や地域、人、そこにある資源によって大きく変わり、また時代の変化とともに変わっていくからです。

災害という先が見えない状況でその場その時にあるもので何とか生きていくためには、それまでの人生で培った知識や能力を総動員することが大切で、それは避難所運営のためだけに用意するものではなく、日常の生活で必要な事が結果として避難所運営にも役立つと思います。

そして1人ではなく様々な人の知識と力を合わせるからこそ、どんな困難でも乗り越えられると思います。

なので、写真もあくまで避難所のひとつの可能性であり、それを真似ることが正解とは言い切れない点にご注意ください。

③振り返りでの気づき

避難所運営訓練が終わった後、班ごとに分かれて振り返りをしました。

この中で一番印象に残ったことが、ほとんどの生徒の振り返りコメントの中に『ミスしたけど〜』ということが入っていたということでした。

個人的に、災害に限った話では無いですが、特に何が起こるか分からない災害発生時において、普段通りのようにミスは起こらないということは不可能だと思います。

普段ですら細かなミスはいくらでもあり、それが致命的になる前になんとかカバーできたらOKな場合もあるのですが、そもそもミスがあったことに気づかなければ、うまく行ったで終わってしまうかも知れません。

避難所運営訓練を通して、ミスをして、ミスに気づいて、ミスしたことを伝えて、そのミスを協力してカバーし合うことができただけで充分だと感じました。

特に防災訓練と名のつくものはミスが許されないと言った風潮があり、シナリオ通りに動かざるを得ないものが多いと感じているので、訓練かミスをする前提でそこから次に繋がる場になれば良いと思いました。

なんだかんだで3年連続で参加してきたので、震災に対する考えも記憶も変わる世代に合わせて内容も変化していっても良いのでは無いかと思いました。

そしていつもは大人しい面しか見えなかった生徒が、学校で友達といる場だと、また別だということもわかりました。

こういった一面を見る事ができるだけでも、学校の生徒たちの社会に地域の住民が入る意味はあるのではと思いました。

2.ふくしまで震災伝承から○○を学ぶ

11月21日 ふくしま震災伝承者交流会 @富岡町文化交流センター学びの森

福島県富岡町で開催された「ふくしま震災伝承者交流会」に参加してきました。

なぜ、わざわざ福島まで行ったかというと、自分が知らないだけかもしれませんが、震災伝承に関わる人が集まって議論をする場がないからと、伝承活動をするにしてもそもそも住んでいる人が少なく、復興のフェーズも震災伝承のフェーズも岩手宮城と異なる福島の人達の思いを知りたかったからです。

①様々な伝え方、個人的に合わなくても、共感は出来る

最初の講話では、1993年の北海道南西沖地震と津波を奥尻島で経験し、語り部活動をされている方からの話がありました。

今回は、伝承する場ではなく、伝承について考える場なので、話の内容というより、話を聞いて印象に残ったことについて述べます。

その方の伝え方は、今まで語り部として話を聞いてきた人とはまた別のアプローチ方法でした。

話を聞いていて、ものすごく声が大きく、テンション高く元気に自信をもって話す人だと感じました。

語り部というより、「講演家」という言葉が浮かぶような感じでした。

これは完全に自分の感覚的な問題なのですが、正直苦手だと感じてしまいました。

自分の中でも理由は分からないのですが、テンション高い人が苦手なのです。

そういう意味では、一人の人間が、聞き手のうち100%に同じように伝えることは難しいと感じました。

ただあくまでも、講演としての演技や表現が個人的に直感で苦手だと感じただけであり、その人を否定しているわけだはありません。

たまたま自分は合わないと感じただけで、それは誰にもあることだと思います。

そう感じたのは、その人の人間性ではなく伝え方という部分だけです。

ただ一方で、自分は合わないと感じた中でも、その人が一生懸命伝えようとしている姿勢は十分伝わりました。

個人的には語り部どうこう以前に、他人の考えは全て理解し、同意できるとは限らないと思っています

しかし、その中で自分に最大限出来る事は相手の思いと合致するところを探す努力をすることだと思います。

今回は、個人的に合わないと感じましたが、命や大切な物を守るために一生懸命伝えたい内容や想いは伝わりました。

自分は人の話にストレートに乗りづらいタイプだが、その気持ちは理解できました。

自分とは異なるタイプの人の考えとして共感できました。

要するに、自分は同じように考えるわけではないですが人によって考え方も異なるので、それぞれの考え方を通して同じ目的に繋がればいいと思いました。

語り部以前に様々な人と様々な考え方があり、自分とは考え方ややり方が異なっても、理解し合うことが出来るということを実感しました。

そういう意味では、語り部は自分のプレゼンテーションだと感じました。

多様な語り部の在り方を通して、人としての在り方や認め方を広げるきっかけになりました。

伝え方も大事だけれど、聞き方も、受け止め方も大事だと改めて思いました。

②なぜ震災伝承活動を始めたのか?

次にパネルディスカッションがあり、福島・宮城で震災伝承に「仕事として」関わる若い世代の思いを聞きました。

元々伝えたいという思いがあった人も、たまたま仕事が無い時に声をかけられて始めた人もいました。

震災の経験から伝えたいだけではなく、今の暮らしや自分が生まれ育った町の良さを伝えたいという人もいました。

地域や災害の種別、復興のフェーズも異なる福島の若い人が考える震災伝承は、他の地域で長く続いてきた震災伝承と同じ部分も、また違う部分もあると感じました。

経験も思いも各々異なり、正直誰でも特別じゃない人でも震災伝承を仕事としてすることは出来るのだと思いました。

他の地域でも、これからもそういうきっかけがあり、新たに震災伝承を仕事に出来る人が増えるそのための力を注いで行きたいと思いました。

③震災伝承活動の悩み、喜び

まだ続いていることや思いを伝えたい側と、過去を教訓を知りたい聞く側とのギャップ、生まれた場所なのに知らないことがたくさんある、伝えることの難しさ、個人だけの活動だと気づきを得にくい、語り部の最中に寝る人もいる等の悩みが出ました。

また、相手に伝わり、反応が返ってきた時や出会いの喜びがあるとのことでした。

これらの悩みは、いつまでも悩み続ける物なのかもしれませんが、それをお互いに共有し、少しでも良くなる可能性に繋がれば、話す方の負担も少しは軽くなるのではないかと思いました。

④これからの震災伝承活動を続けるために願うこと

繋がりと交流、過去のことにしてしまわずに今にも目を向けること、他の誰かの話も代わりに語る、語り部に制限をかけずに様々なものに触れる、無理せず続ける、続けるとは言い切れない、辞めたり始めたりできる等の意見が出ました。

一生同じ仕事を続けるかもしれないというプレッシャーは、震災伝承を職業とするための一つの壁だと思っています。

自分も前職に就いた時、定年までずっと同じ場所で働くと考えるとぞっとしましたし、やることが震災伝承と限られているならなおさらだと思います。

そして震災伝承は、目的は決まっていても手段に正解のない分野だと思っているので、そのためには、一つのことを突き詰めるというよりは、他のことを経験することが活きる分野だと思っています。

なので震災伝承を職業だと考えた時に、他の人とコンバートするのもあありだと思いました。

また、地域の復興や震災の伝送など社会や地域の為ばかりではなく、自分の幸せを優先する時があってもいいと思いました。

同じ人が続けると他のの人が関わりにくくなり、持続が難しくなる、また人が変わるとマインドが受け継がれにくくなり、持続が難しくなるという震災伝承に限らず普通の仕事にもあてはまる部分について向き合うことも、震災伝承を続けるために必要なことではないかと思いました。

⑤聞いた全員が興味を持つ話は難しい

パネルディスカッションの中で、個人的に印象に残ったのは、語り部の話の最中に聞き手が寝たりすると悔しいので寝ない工夫をしたいということでした。

そして退屈したり寝たりしないように、個別に質問したり、難しい用語を使わないようにするなどの工夫をしているとのことでした。

少しでも目の前にいる多くの人に伝えたいことが伝わるために工夫することは大切なことだと思います。

その一方で、目の前にいる全ての人に伝えることは不可能だと思っています。

自分自身も今まで人の話を聞いていなかったこともありますし、眠い時も、退屈な時も、他の事ばかり考えていたこともあります。

ましてや修学旅行生なんて、好きな女の子の事しか考えていなかったり、他の悩みを抱えた状態で来ることも十分あります。

そもそも全員が話をきちんと聞くことが出来るのならば、全員テストで良い点を取れるでしょうし、避難情報が出たら全員が避難行動を取ることが出来るのだと思います。

人は必ずしも事前に予測できる合理的な行動をとるとは限らないというのは災害の度に気付かされることだと思います。

災害時に全員が避難行動をとることがほぼ不可能なのと同じように、一人の人間の一通りの伝え方で多くの人間に同時に伝えることは限界があると思います。

そういった意味では、震災から伝える先にある目的のためには、語り部や伝承施設を入り口としつつもそれ以外の手段も必要なのではないかと感じました。

⑥交流会の難しさ

最後に参加者がグループになって話し合う場がありました。

他所から参加しておいて言うのもなんですが、伝えることの難しさを改めて実感する場でした。

細かい内容はさておき、福島の知らない地名、知らない専門家の名前が出てくると、頭の中に一部にもやがかかったようになり、話が急に頭に入らなくなりました。

それと同時に、自分自身も同様のことを他の人にしているのではないかと思いました。

原子力災害についての当事者の話を聞くには、専門的な用語の理解が必要な部分もありつつも、それらを先に学んでいなければ、短い時間で伝える事しかできない場では本質的な部分が伝わらないと感じました。

自分の過去を振り返っても修学旅行で広島に行く前に調べたことは原爆のリトルボーイの中身だったが、現地で一番学んだ事は原子爆弾の知識ではなく、そこにいた人が受けた傷みでした。

それを振り返ると、原発の細かい知識が分からない相手にも伝えられる能力が必要なのだと感じました。

そういう意味では相手に合った表現が必要で、そのためには相手のことを良く知る距離感が必要だと思います。

なので、人によっては、専門家の言葉より、政府の指示より、身近な人の言葉の方が伝わることもあるのだと思います。

⑦最後に

色々書いておいて何ですが、全ての話が伝承交流会の本筋から脱線していますが、これはわざとです。

なぜかというと、震災・復興・伝承に関する話は、防災などに限らない範囲での応用が利くと思っているからです。

話し手がAやBのことを伝えようとしていても聞き手はそこからCという考えを導くことが出来、震災伝承が震災伝承の枠を超えたものとして社会に根付くことが出来れば、それは結果として震災伝承にも繋がると思っています。

これからも様々な震災伝承の翻訳の仕方、伝え方を模索していきたいと思いました。

3.これからの大槌高校と地域と

11月22日 これからの大槌高校を考える会 @おしゃっち

先日、「これからの大槌高校を考える会」という場に参加しました。

統合の危機に瀕している大槌高校が高校魅力化に取り組み、来年度から学科を地域探求科に変更するとのことで、どうしていくべきかを話し合う会でした。

①地域探求科

最初の地域探求科の説明を聞いて、過去に聞いた言葉を思い出しました。

それは、神戸で高校生と社会をつなぐ活動を防災教育をされている学校の先生や、双葉みらい学園の活動紹介の時に聞いた言葉でした。

どういう言葉かと言うと、『能動的市民・主権者の育成』と言った趣旨の言葉でした。

どちらも震災や防災を通してこれからの社会を担う世代が変化し続ける未来を切り開く力をつけるための教育であり、大槌高校の地域探求科の目的もそれに近いと感じました。

②発表

その後、高校生と学校の先生からの発表がありました。

高校生が地域に関わる過程とその変化についての発表を聞いて、自分が大槌に来てから歩んできたプロセスを振り返っているように感じました。

また、生徒、先生、地域に向けての高校生からの提案を聞き、これからの取組みは大槌高校独自の取組みではなく、大槌という地域に関わる誰もが当事者になり得るものだと感じました。

そして誰もが当事者ということは、誰にとっても他人事ではないと感じました。

生徒、先生、地域住民の区別なく誰もが共に学び合う機会にこの地域探求の取組を通して増えていけばいいと思いました。

③ワークショップ

その後、グループでワークショップを行い、「どうしたら地域が大槌高校生にとってより良い学びの場になるのか? そのために私たちに何ができるのか?」について話し合いました。

個人的に必要だと思ったことは、お互いのことをもっとよく知ることだと思いました。

何が言いたいかと言うと、個人名で呼び合う関係になれば良いなと言うことです。

高校生、はま留学生、地域の人、自治会の人、ちおこの人ではなくAさん、B君と名指しで呼べる関係になれたらと思っています。

それは、自分自身が町外から来たちおこの人と呼ばれるのではなくいち北浦としていつか認めてもらえるのが願いだからです。

そう言った個人の思いをもっと出せる場がもっとあればいいと思います。

④最後に

高校生に、子供に、学生にとって優しい町だけではなく、そこで過ごした人がこれからも良いと思ってもらえることが大切だと思っています。

最終的には高校生という立場でなくなってもその人個人として関係を続けていける人がいる町であれば、いち移住者として大槌は魅力的な場所になる、そう思いました。

そこで自分が思ったことは、大槌の魅力はそこに住んでいる人同士の距離が物理的な距離以上に近いということです。

自分は、近所の人との距離感があまり近くない、もしくは自分はそう感じたので、それがうらやましく思う時があります。

それを選択することは難しいですが、そこに偶然または縁があって住んでいるからこそ、それを素晴らしいことだと感じられるようになることも必要だと思いました。

そして、個人的に気づいた一番の問題がありました。

自分はめちゃくちゃ人見知りで俗に言う会話の苦手なコミュ障でした(涙)

特に自分より若い世代の人たちにはほとんど話すことができないくらいでした。

大槌に来て、一人対大勢ではなく、一人対一人で子ども世代や若い世代と関わる機会があったおかげで、今では少しはマシになったのではないかと思います。

それも、僕なんかと関わってくれた大槌の皆様のおかげです。

そして、高校に関する話でしたが、これを高校、教育と言う限られた業界だけではもったいないと感じました。

そしてより多くの人が負担なく関われるように楽できるようになってほしいと思いました。

人と人が接すると熱量が発生し、それは知らず知らずのうちに負担になる場合もあるので、人見知りでもうまくやりとりできるように補助するツールとして名刺とか自己紹介カードなどあれば話の糸口を見つけられるのではないかと思います。

4.町民文化祭でフラダンスに挑戦!?

11月5日 大槌町民文化祭 @城山公園体育館

城山体育館で開催された大槌町民文化祭のステージ発表部門に出演しました。

フラサークルミノアカさんの2曲目で「Ulupalakua」と言うカウボーイの曲を踊りました。

大槌に来てよく見たのが虎舞、鹿子踊、大神楽などの郷土芸能ですが、その次によく見たのはフラダンスでした。

基本的に人前で話したり、踊ったり、何かをしたりするのが限りなく苦手で、本番にものすごく弱いタイプの人間です。

なので、舞台に出る前は死にそうな感じでしたが、舞台に出て踊ると観客の皆さんが手拍子して頂いたおかげでなんとか踊り切ることができました。

そもそもフラダンスをなぜ踊ったのか自分でもよくわからない状況でした(笑)。

自分がやりたいと思っていたことではなく、まさかやるとはと思っていたことにチャレンジできたのも、大槌に来て多くの人々と会えたからだと思います。

そして、僕でも多くの人に喜んでもらえることができる、それが分かっただけでも充分です。

大槌という小さな町ですら、今までに想像していなかった未知のことに出会うことで、皆さんの中の大槌はもっと大きく広くなって行くと思います。

自分でもなんとかできたフラダンス、興味ある人はぜひ挑戦してみてはいかがですか?

踊ったのは2分程度ですが、いろいろ緊張しすぎて疲れたです。

そして緊張のほぐし方が未だにわからないです。

5.今月の臼澤鹿子踊

今月は、釜石で2回、ホテルはまぎくで1回踊りました。

まだまだ踊りは上手くないですが、こうやって人前で踊る機会がひとつ終わってもまた次があると言うのは踊りを続けるモチベーションに繋がります。

次の出番は、元旦の小鎚神社に奉納舞の予定です。

6.おわりに

今年の11月は秋なのか冬なのか微妙な時期でした。

けど午後4時になると周りは暗くなっているというのはなかなか慣れないものですね。

そして、大槌に来て、色々な踊りを踊る機会がなぜか出来ました。

元々苦手なジャンルで、センスは無いので他の人と比べると下手ですが、自分の中では今までで一番やっている方なので、何でも、何歳になってもやってみるものだなと実感します。

大槌町地域おこし協力隊

北浦 知幸(きたうら ともゆき)

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