寂しい! って叫びたい

愛に飢えていた。

飢えていたというか、今も飢えている。なんとなく満たされない気持ちとか、なんで私ここにいるんだろうと存在意義みたいなものに思考が触れてしまうと、バチンと頭の中でスパークする音がして、もうダメ、1日動けない。強引に動かすと、その日にやらかす数々のミスを後日片付けるハメになる。

寂しい! あー! 寂しいいい!

20代もそこそこの男がこんなことを叫んでも、みっともない。アイコンはちょっとかわいいイラストを使ってこそいるが、現実は非情だ。せめて、すごくかわいい女の子だったら、そう、マンガに出てくるような、図書室の隅っこにいるというもはや都市伝説の質素で素敵な女の子であったなら。かわいいの眼前では完全降伏だとガッキーも言っていた。かわいい代表のガッキーさえも、かわいいという概念に屈してしまうなら、もう世界はかわいいに勝つ術を持っていないのだろう。かわいい女の子が、女の子同士で「寂しいね」なんて言い合っていたらもうそれだけでむしろ私はハッピーである。

しかし、やはり現実は非情だ。仮に、万が一そんなことがあったとしても、そんな場面を20代そこそこの男が怪しげに覗いていることなど許されない。それはまさに禁忌、男はどんな形であれその世界への介入は許されず、あまつさえ見てしまったらそれはもう、おしまいなのである。

そうは言っても寂しいものは寂しい。それは仕方がない。愛されたい、めちゃめちゃに愛されて、ああもうこれはちょっとやりすぎだろう。っていうくらいに愛されてしまいたい。だがしかし、これがまた難しい。

そもそも、どうやったら愛されてると言えるのだろうか。「親の愛情を受けられなかった子ども」と言う言葉をよく聞く、私もそれかもしれない。では、親の愛情をマックスフルパワーで受けた子どもは何をされているんだろう。毎日抱きしめられて、ハグしてキスして、ちやほやされて、晩ご飯はいつもグラタンなのかもしれない。でも、それなら私だってそうだった。小さい頃はといえば私の両親はそれはそれは私のことを抱きしめて、撫でて、キス……は……どうだっただろう。幼稚園くらいまではされていたのだろうか、そういう意味ではちやほやもされたし、晩ご飯はグラタンだった。私はグラタンが大好きだ。

でも、今、すっごく寂しい。さて、どうしたものか。あんなに好きだったグラタンに愛はなかったのだろうか。

そこでふと思う。抱きしめられてるだけでは、愛されてることにはならないんじゃないか。例えば、本当に例えば、突然道ばたで男に抱きつかれるとする。その男は「一目惚れだ! つきあってほしい!」と言っている。でも、残念ながら私はストレートだし、ちょっと気持ちには答えられない。やるにしてももう少しステップと言うものがあるはずだ。ハンカチを落としましたよ。とか。

確かに抱きしめているし、抱きしめられているのに、誰も愛を感じていない。これはやっぱりただ闇雲に抱きしめるだけでは、愛情ポイントは貯まらないと言うことになるのだろう。

そこで私はひらめいた。きっと、逆なのだ。つまるところ、私が愛されているというのは、誰かが飛びついてきて抱きしめてくれることではない。私が誰かを抱きしめたときに相手が私を抱きしめ返してくれることが、愛されていると言える状態なのではないだろうか。どんなに愛情表現とされる行為でも、いきなりは流石に引く。困っちゃう。さらには、それを一方的にぶつけられるだけでは、やっぱり愛情は感じないだろう。

私の求めている"愛される"というのは、ただ抱きしめてもらったり、ちやほやされたり、毎日グラタンが出ることでなく。なにか面白いものを拾ったときに「見て見て!」と近くに寄ると「なんだい?」と顔を向けてくれることであり、3日目のグラタン作りに取りかかろうとする母に「グラタンはそろそろ良いかな……カレーが食べたい」と言ったときに、あははと笑って、明日はカレーにするねと言ってくれることでもある。私はカレーも大好きだ。

ちなみに、うちの母はうっかり「おいしい」と伝えようものなら、一週間そのメニューが続くこともある母だったので、私は「おいしい」とあまり言わなかった。そう言う意味では私も母に愛情を注げていなかったかもしれない。

愛されるというのは、コールアンドレスポンスみたいなもの何だと思う。

「盛り上がってるかーい!」

「いえええええい!」

反応が返ってくるとやっぱり嬉しい。

しかし、つまりこれは、愛されたかったら自分から何か叫ばないといけないという事でもある。それから、私が愛情を注ぐ時は拳をぎゅっと握って胸のあたりにおいて、愛されたい人に目で合図する。

「『いえええええい!』の準備、OKですよ」

あとは、待つ。ここで勝手に1人で叫んだら、サンシャイン池崎である。目の前で突然叫ばれてしまった愛され待ちの人には叫ばれるだけでも酷だ。しかし、私も私で引っ込みがつかないので冷や汗ダクダクになりながら「空前絶後のぉぉぉ」と続けるしかない、しかも、よりにもよって、愛され待ちの人の前で「笑いを愛し、笑いに愛された」とか言わなくてはいけない。あまりの痛々しさに、そこにいる全員が報われない。だから、ぐっと我慢して、アイコンタクトを放ちながら待つ。小声でも聞こえたら大声で返す。

そうしたレスポンスこそが、私の求めていたものだ。ともあれば、私も「盛り上がってるかーい!」と叫びたくなってきた。さて、周りを見渡すと……。

……………。

………………………。

うん、仕方ない。いないならいないでやるしかない。むしろ、いない方が思い切りやれることもある。

大きく息を吸って。


「いええええええええええい!!!」

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