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ジュカインは私の相棒

横になっている。

ものを考えるということができない。考えるという行為は、前提に進展を加え発生した問題に対して分解する作業を行い、分解された細かい問題に対して一つずつ対応していく工程を指す。文字などから状況を読み取り、場面を読み解き、発生しうる問題に予め布石を打っておく。そういうこと一つ一つが、大切なのである。

それができない。

またできるようになるのかもわからない。わからないことを、わからないから、わかるようになるまで繰り返す。その工程も、最近は踏めなくなってきた。

例えば格闘ゲーム。人と対戦するゲームならポケモンもそうだ。将棋や麻雀もある。それらが、追えなくなった。昔は、わからないからやってみようと言って、手当たり次第にやっていたのが今ではもう何もかも面倒くさくなってしまっている。やるのもそうだし、対策するのも面倒だ。新しいことがどんどん覚えられなくなっていて、しかし、繰り返したことは覚えられるようになっている。前は一撃で頭に入ったことが、今は言葉がスッと出てこない。

マインドマップも書かなくなった。手帳にメモも取らなくなった。努力しない分、できないことは増えていて、できることもどんどん減っていっている。アニメの設定や、キャラクターの名前、技の名前も思い出せない。できないことばかり数えて、横になっている。

大切なことが記憶から消えている。仕事の手順、ゲームの進行具合、相手の手数。油断できないことばかりなはずなのに、記憶からこぼれ落ちていく。いや、時間をかけて何度もやったことが記憶に残り、何度もやっていないことはこぼれ落ちる。あたり前のことなのかも知れない。

仕事も、休み続けている。朝、体が起き上がらない。昼になっても震えが止まらない。会社に休みの連絡を入れ、布団に潜ってもまだ震えている。気持ちを切り替えてゲームをする、なんて気にもなれずYouTubeを眺めては、やはり布団で横になっている。

いつまで続くのだろう。胃のあたりが重くなり、考えがまとまらず、家の外に出る準備さえできない。ちゃんとやらなくてはいけないという強迫観念のようなものが、常にまとわりついてくる。ゲームもそうだ。

ポケモンのダウンロードコンテンツが先日発売された。今はネタバレを踏まないように注意しながらインターネットの世界を彷徨っているが、逆にゲームをプレイしようとすると「ちゃんと楽しまなきゃ」と感じてしまう。セリフをしっかり読んで、出てくるポケモンにも気を配って、考察しながらプレイしなきゃと思ってしまう。他の人が気が付かないような、いや、気がついていた時に「あー、それね」と言えるくらいに集中してゲームをしなくてはならないと思ってしまう。ゲームにもプレイの質があり、できるだけ質の高いプレイをしようとしてしまうのだ。

しかし、現実はそのようには行かず、一つ前のセリフも忘れてしまう。情報が思ったように頭に入ってこない。それが苦しい。キャラクターの言葉を、復唱できない。どこどこへ行こうとか、なになにをしようといった情報さえ上手く拾えない。

ゲームができない。ネタバレ情報を避けているからか、とにかく早くクリアしようと気が急いてしまい大切な情報を見落としてしまう。そんな気がして、ゲームを起動できない。

もういっそ、配信者さんの実況動画でも見ようかという気になってくる。自分でプレイすることさえ、負担になってきているのだ。

新しい格闘ゲームも教えてもらった。でも、よく分からなかった。ガードが、技が、思ったように出せない。つまらなくはないが、息苦しい。技を組み合わせたり並べたりするイメージが湧かない。教わったことが、教わったとおりにできない。

言われたことを理解するなんて、簡単なことだった。全くわからないことも、手探りで回数をこなしていけばなんとなくコツは掴めるものだった。でも、今はそうではなくなってしまった。

ノートも取らず、考えるということをしない。ただ蹲って、じっとり流れる嫌な汗や、明日こそはなんとかしないと、という思考に頭が支配される。

普通にゲームをやって、終わってから他の人の感想とか配信を見に行けばいいと思うのだが、全然うまく行かない。

逆に、うまく行った話をしてみようと思う。

私の初めてのポケモンは、ポケットモンスタールビーと呼ばれる作品だった。小学生になって初めて買ってもらったポケモンで、ゲームのついでに攻略本を三冊買ってもらった。どれだけ攻略する気だったのだろう。ただ、あのときの私は不安だったのだ。新しい冒険、ポケモンという世界が不安でその行き着く先としてナビゲートしてくれる本を買うことで不安を和らげていた。

ゲームが始まると、主人公たる私は真っ暗な空間に閉じ込められていた。ゴトゴトと揺れる音が鳴り、しばらくすると揺れは収まった。矢印に従って移動すると、外に出て私はピョンと飛び降りた。トラックの荷台に乗っていたらしかった。引っ越しから、私の冒険は始まった。

その後、オダマキ博士がポケモンに襲われているところを助けて、そのときに選んだポケモンであるキモリと私の旅は始まった。

楽しかった。攻略本があるので、ネタバレもなにもあったものではないが、詰まったときには本を読んだ。また、これまで旅してきた場所も本に書いてあるので、トラックに乗っていたことやオダマキ博士がポケモンに追いかけられていたことなどは、何度も読み返して思い出した。

タイプ相性なんかも本で覚えた。また、当時は図鑑のポケモンがデジタル作画とアナログ作画のちょうど境目で、図鑑のポケモンが今作から登場しているのか過去作から登場しているのかでタッチが違った。

また、攻略本は万能ではなかった。ポケモン図鑑で知ってはいても、入手の難しいポケモンはたくさんいた。そして、それらは手に入らず、結局図鑑を完成させることはできなかった。

それでも、ポケモン一匹で四天王からチャンピオンまで倒し抜こうと試みて相棒のポケモンを連れ、念入りに準備して向かった。ヒメリの実という木の実をたくさん育ててカバンに詰め込み、技のパワーポイントを回復しながら何度も何度も、自分の力を知らしめるように四天王とチャンピオンに挑んだ。

他にも、敵組織マグマ団を倒すための戦い。世界が日照りになってしまいそのBGMが怖くてすぐに家に帰ったことや、レポートを書かずに挑んでしまい冷や汗をかいたグラードンを捕まえるための戦いなど。ホウエン地方と呼ばれる舞台で私は様々な冒険をした。

そして、最初の場所。自分の家のある町を見て「ちっちゃ」と思うまでの長い長い旅と、それを終えてもまだ拾い残したアイテムや捕まえていないポケモンを探す旅に出た。

楽しかった。ゲームをする時間は怒られるまでゲームをして、それ以外の時間は本を持ってポケモンのことを考えていた。学校が終わったあとはずっとゲームのことを考えていた。楽しくて楽しくてたまらなかった。

いつかゲームを作りたいと思うようにもなった。そして時代は進み、誰でもゲームを作れるようになって、私もTRPGを一つ作った。幸せだった。

でも、ゲームボーイアドバンスでポケモンをしていたときの「これを作った人が居る」という感覚と「電気がピカピカしているに過ぎないのに、それに愛着をもたせるまで昇華させるなんてすげぇ」という創作に対しての敬意はその時から生まれた。

初めての相棒であるキモリは進化し、ジュカインとなった。そして、ジュカインはゲームボーイアドバンスからDSへDSから3DSへさらにポケモンホームというスマホから見られるアプリを経由してNintendo Switchへとやってきた。

「ガイン」とニックネームを付けられた彼は、3Dグラフィックになってやってきた。2002年か2003年頃の出会いなので、かれこれ20年ほど私の側に居てくれている。

データを失うのが怖くてポケモンホームに中々入れられなかったぐらいだ。課金し続けられる気がどうしてもせず、いつか何処かに居なくなってしまうのではないかと心配していた。

もういいや、と見切りをつけて課金を切ったら大切なポケモンごとデータが無くなりました。なんてことになりかねない。

なので、買い切りソフトの中に大切にしまってきた。そしてこの度、満を持して最新作にも呼ぶことができるようになったので呼んだ。ちょっと泣きそうになった。

ただのデータだと思っていたけれど、そのただのデータにすごく思い入れがあったらしい。のうてんきで、HPが他の個体よりも高い。酸っぱいものが好きで、ウブの実から作ったポロックをよく食べた。戦闘面では決して強いわけではないけれど、すごく思い入れのある一匹だ。

新しいコンテンツでは、ジュカインを連れて旅をすることにした。どこまで行けるかわからないけれど、たくましく育っているしそれなりについて来られるだろう。一番新しい相棒のラウドボーンとも仲良くしてやってほしい。

しかし、ジュカインを移動し終えたらなんだかまたぐったり疲れてしまった。実のところ、このジュカインが本当に20年前のジュカインなのか確かめるすべは無い。出会った日付は高校時代にデータ移行した際に変わってしまったし、唯一の手がかりであるトレーナーIDもかつてのソフトであるポケットモンスタールビーはもう手元にないのだ。

ただ、記憶にある限り、何度も見てきたIDのように思える。ガインという名前も、小学生の私が付けたもので間違いない。他のジュカインにこの名前は付けていないはずだ。

しかし、私は横になっている。もう、今日は駄目な日だ。確証が欲しい。このジュカインこそ、あの日初めて手にしたジュカインなのだと。ほぼ間違いないのだが、それを100%にしたい。消去法を用いてもこのジュカインであることは間違いないはずである。唯一取り違える可能性のあるリメイク作品オメガルビー・アルファサファイアのジュカインは、発売日が2014年であることから高校時代である2012年に出会うことはまずありえない。仮に過去の思い出を踏襲するために、そのとき選んだキモリに「ガイン」と名付けているかも知れないと不安が過ぎったが、日付からそれが否定された。

……この鑑定作業が疲れた。あの、初めて出会った相棒であるという判定に手こずるとは思わなかった。出会った年が2012年になっていたとき、顔が冷たくなった。しかし、データ移行の際に変わるタイミングがあったと知ってホッとした。そして、高校時代にしっかりデータ移行していた私は偉い。

だが、それはそれとして横になっている。鑑定士ってこんな神経をすり減らす仕事をしているんだろうか。こんな調子ではしばらくポケモンホームも解約できないし、やはり働かなくてはならないと思うのだがダウンしてしまう。

こんな身近に、小さなデータという形で大切なものが保管されていることが、かえって恐怖でもある。

良くこれまで消されず、取りこぼされずに来たものだ。これでなにかのはずみに「ガイン」を消してしまったら私は気が狂うかもしれない。

などと思いながら横になっている。気などとっくに狂っているかも知れないのになと思う。

どう考えてもメンタルを病んでいて、立ち直り方がわからない。時折スイッチが入ったように動き出したかと思えば、電源から引っこ抜かれたみたいに気が抜けてしまう。

ゲームをしている間だけ楽しいなんてことはない。ゲームをしていても疲れる。ゲームをしていて楽しかったのは、みんなとゲームをしていたからなのではないかと思う。今日、妻が帰ってきたら「ガイン」を紹介しよう。興味ないかも知れないけれど、大切なポケモンが確かにそこにいることをこうして書き記し、誰かに知っていてもらいたい。

ノートを書くことをしなくなった昨今だからこそ、愛着のある大切な存在についてはこうして書き記しておいたほうが良い。

無くなったら血管がブチギレそうなものは、歳を重ねるごとに増えていく。それを支える力さえなくなってしまいそうだ。

心細くてたまらないが、それでも今日は遠い昔の相棒と再会できた。それだけで、良い日だったということにしよう。

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