見出し画像

帽子の謎、そして敗北

シン・ウルトラマンの主題歌であるM八七の歌詞を読んでいて一つ、どうしてもわからなかったところがある。

"君は風に吹かれて 翻る帽子見上げ 長く短い旅をゆく 遠い日の面影"(米津玄師,2022)

この『翻る帽子』だ。

M八七は歌詞の中に難しい単語はほとんど含まれない。むしろ、平坦な言葉だからこそ、誰の視点から歌うのか、その点に余白が生まれている。しかし、この翻る帽子だけは、分からなかった。言葉の意味としてはわかるのだが「誰のどんな帽子が翻ったのか」をイメージするにあたってどれもしっくり来なかった。例えばウルトラマンは帽子をかぶらない。だから、彼が翻る帽子を見上げることはない。一応、スキャットウルトラマンという曲では帽子を被っているが本編とは関係ないので、今回は無視していいだろう。次に主人公、神永新二も帽子は被らない。むしろ物語上で「帽子」と呼べるアイテムがコンセプトのキャラクターはいなかったと記憶している。何より、翻る帽子と聞くと、私は探偵物語に出てくるようなハットが浮かぶ。

帽子のあとには「遠い日の面影」とあるが、つまり「君」はこれから旅に出るところであり帽子が飛ばされそうになる。しかしもう頭の中に浮かぶのは、ジブリ映画の方の風立ちぬのポスターだ。強風を前にハットをぐっと手で抑える。あるいは麦わら帽子。しかしどれもしっくり来ない。

歌いながら想像する帽子は、孤独な旅に似合うハットだったが、しかし、登場人物の誰にかぶせても似合わない帽子でもあった。

そんな折、ウルトラマンの感想配信をしていた男がいる。ジョー・力一と書いて「じょー・りきいち」と読む。横書きだとジョーカーにしか読めないが、りきいちさんと呼ばれ親しまれているピエロのVTuberである。

彼はシン・ウルトラマンを見てきたことをトピックスとして取り上げネタバレを話しているときにはミュートをしていてもわかるように「ネタバレ中」と画面に表示しつつ映画の感想を最初から丁寧に語っていた。その中で最後のシーンの更にあとスタッフロールと共に主題歌について話していたときだ。

「一番のBメロのあたりかAメロの二周目かのあたりで、『舞い上がる帽子が』みたいな歌詞があるじゃないですか」

私の気になっていた帽子について彼は配信の中でサラッと触れた。その瞬間に私はグッと惹きつけられた。

「あんとき、多分みんな紅白帽浮かんだよね。頭の中のイメージ。紅白帽を真ん中にツバやって、あれが風に舞い上がってるイメージで合ってる?」

言葉も出ないとはこのことだ。何かを競っているわけではないが、私は「負けた」と思った。その瞬間に、先に述べたワンフレーズの意味が全て繋がった。紅白帽を頭にウルトラマンのマネをしていたその帽子が風に吹かれて翻る。遠い日の、面影。

力一さんはそれを理解し、あの歌詞のメッセージの中に含まれた遊び心まで捉えていたのだ。フハハと笑ってから「あそこで微笑んでしまう」と言った。私は歌詞を熱心に読み解こうとするあまり、そうした少し力を抜いた遊び心には気がつけなかった。負け惜しみを言うなら、私は仮面ライダー派だったので帽子でウルトラマンのマネをしたことがない。

それでもニコニコ動画で散々「思い出はおっくせんまん!」を見ていたにも関わらずこの体たらく。恥ずかしい限りである。それからというもの、歌う時翻る帽子は紅白帽をイメージすることにした。その方が、ハットよりもしっくり来る。何より、遠い日の面影としても旅路をゆく前の幼い少年に似合うのは紅白帽だ。

歌詞の解釈にはいろいろな見方がある。このM八七にしても「ウルトラマン側」か「神永新二側」か「少年側」か「おとなになった自分側」か、どの視点から見ても馴染む。しかし、もちろん解釈として「惜しいと思うんだけど、どうにもピンとこない」と自分で考えていて思うことは多々ある。そんな中で、ふとした拍子にそれまでの伏線が回収されるかのごとく一つの単語で意味が繋がることがある。

そして、できればそれは自分で見つけたい。解釈はする側に与えられた自由、とおこがましく思ってはいるがしかし「より精度の高い、馴染む解釈」はあると思っている。今回の紅白帽に関しては、私によく馴染む解釈だった。悔しいのはそれを先に言語化した人がいたことだ。

あっぱれ、そして、私はまだまだ未熟らしい。紅白帽など、選択肢の一つにも入っていなかった。しかし、ウルトラマンに関わる人物の中で誰よりも帽子が似合うのはかつてウルトラマンごっこをしていた少年だった。そしてそれを「あ、私だ」とか「紅白帽だ」とメッセージを受信した人々がいたのだろう。

私がそちらサイドになれなかったことが悔しい。

ただ、同時にこのM八七という曲がシン・ウルトラマンを見た人からの評価が高い理由がまた一つ理解できた気がする。しかし、米津玄師さんもウルトラマン帽子をやっていたのだろうか。いや、それはまた別の話だろう。

こうして私の「謎の翻る帽子事件」は静かに幕を下ろした。これからはより一層自信を持って歌をうたえる。ただ、私の実体験は無いので、思い出はおっくせんまんを思い出しながら歌う。架空の記憶だ。

それでもしっくり来なければ、私が歌うときだけはハットのイメージで脳内ミュージックビデオを再生することとしよう。

それはそれとして、シン・ウルトラマンはとても面白かった。機会があればぜひ見ていただきたい。これから、シン・仮面ライダーもある。特に仮面ライダーは昭和ライダーの一号という、少し遠い存在なので十分に楽しめるかは少し不安が残る。

ただそれでも、シン・ウルトラマンは面白かった。特に感想を語るのが楽しい作品の一つである。ネタバレには配慮しつつ、最高にビリビリ来るかっこよさをぜひ味わっていただきたい。

――――
参考資料
米津玄師さん m八七 歌詞

ジョー・力一さん シン・ウルトラマンの感想部分

思い出はおくせんまん

M八七×シンウルトラマン


ここまで読んでいただいてありがとうございました。 感想なども、お待ちしています。SNSでシェアしていただけると、大変嬉しいです。