見出し画像

祈り

鷲崎健の「ワルツ」と米津玄師の「アイネクライネ」と平井堅の「ノンフィクション」を代わる代わる聴いている。

歌詞にグイっと引き込まれると、そのまま何度もループをさせて、どこに引かれたのかを確かめながら聴き直す。曲に実際に触れているような感覚がある。感じたことを言葉にする課程は本当に楽しいのだが、同時に「どうやってこんな詩が思いつくのだろう」といつも疑問に思う。

歌詞を追いながら気持ちを言葉にするのはあくまでオリジナルありきの、二次創作なので、やはり原点を作った人がいるという事実は大きい。本来の歌詞で触れられているあなた。とはいったい誰なのだろう。

そして私はそんな、どんな生活をしているか良く知らない歌手が、やはり私の良く知らない「あなた」に向けてうたっている歌を聴いて情緒的になっている。なんだかおかしな気分だ。自分に向けられたメッセージではないのに心に残ったり、あたかも自分のことをうたっているような気持ちになったりする。実際のシチュエーションとしてそんなものがあったら、間違って下駄箱に入っていた他人宛の手紙を読むことや、もしくは、誰かが誕生日を祝われている現場に居合わせたような、そんな気分かもしれない。でも、それが歌や文章になると、見知らぬ誰かに向けられているはずのメッセージが、これは私に向けられているのかもしれないとほんの少しだけ思える。

3曲とも特にサビに入るときは文脈をすっ飛ばして、一つのメッセージが何度も繰り返される曲だ。どうすれば、こんな表現ができるのだろう。うらやましく、妬ましく。それでも、なにかせずにはいられないので、文章講座を受けることにした。誰かに届くようなメッセージを書いたり、伝えたりする方法を知ろうとして、手近な講座を受講した。

文章てらこや。という、8人くらいの少人数で小さなちゃぶ台を囲んで、編集長が実際に自分の書いた文章を見て、コメントをしてくれたり、お互いの文章を読みあったりする講座だった。約4時間にわたって文章を書いては、お互いに交換して、コメントをもらう講座を2日間。驚いたのは受講者の職業だった。主婦、お医者さん、詩人、デザイナー、肩書を聞いただけでは文章講座を受けるとはとても思えない人たちが講座を受けていた。しかし、口々に「企画書がうまく書けない」「社報を書くことになって……」など、文章を書かなくてはいけない状況にあると分かり、文章を書く力を必要とする人がずいぶん多いことを知った。二つのちゃぶ台を4人ずつで囲んで、年齢もバラバラな中、お茶を飲み、お菓子を食べながら、文章を読みまわした。

この2日間、文章のルールや書き方はほとんど学ばなかった。講師の編集長はいいですね、と言ってから「でも、ここが一番言いたいところですよね」と、書いている人の一番表現したい言葉の片りんを丁寧に救い上げては、いくつか質問をしてエピソードを引き出し「そのお話を1行足されるともっと良くなりますよ」とアドバイスをしていた。

何を書いても「いいですね」と言われてしまうので、私は不安になって講師の先生に聞いた。

「なんでも、良いですねって言ってくださるんですけれど、うまい文章なのかどうかがわからないんです。どう見分ければいいですか」

すると、先生は笑顔で答えた。

「文章に嘘がなければ、それが一番いい文章です。かっこつけたり、よくあろうとして自分の本心を隠した文章ではなくて、自分の気持ちを素直に、でも相手を思いやりながら書くのが、一番いい文章だと私は思います」

加えて、あなたの文章はウソがないから、自信を持ってと元気づけられた。

それからも先生は文中の細かい誤字を少し指摘するくらいで

「この部分では何を伝えたいですか?」

「これは率直に感情が出ていていいですね」

と、文章に気持ちが乗っている部分を丁寧に拾いあげていった。嘘のない表現、自分が感じた表現を相手に伝える方法を2日間かけて、先生は丁寧に問いかけながら受講生に伝えていた。

講義もそろそろ終わる頃、先生が言った。

「文章は最終的には、受け取り手がどう思うかです。そこは書いた人にはどうにもできません。言葉が足りなくて傷つけてしまうことも、別の解釈をされてしまうこともあるかもしれません。だから、想いが届くように祈りながら書くんです」

私は文章にどんな祈りを込めていただろうか。くだらない話、どうでもいい話。毎日のちょっと気になったことと、それから、あまり完璧ではないけれど生きている自分を誰かに見てほしかったのかもしれない。

「それから、もう一つ、祈っていることがあります」

先生は講座の最後に、ちゃぶ台から少し離れたところに座って言った。

「文章はだれかの心を温かくするものであってほしい。ということです。これも、書き手や、読み手の受け取り方によるものなので『温かくあるべきだ』とは言えません。私は文章は、誰かの心を温かくするものであってほしいと祈っています」

講座が終わると、すっかり日が落ちていた。思ったより長くかかってしまったなと思いながら、帰りがけに本を買って帰った。他の人はどんな風に書いているだろうと、気になってしまう。まっすぐで、素直で、望ましくあろうとしすぎない。そんな文章に学びながら、夜にこっそり読んでもらえるエッセイを書いていきたいと思った。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。 感想なども、お待ちしています。SNSでシェアしていただけると、大変嬉しいです。