老舗洋食屋「ジュネス」に恋をした。
私とジュネスの出逢いは突然だった。
あれは夏の暑さが残る初秋の日、ちょうど私が北白川文化研究員に任命されてすぐのことであった。私は北白川の全貌を知るべく愛車のホンダ・ディオを乗り回し北白川のあちらこちらをうろちょろとしていた。周辺に住んでいるとはいえ目的も無く町を散策する機会もそうそうない。まるで旅行客のように新鮮な気持ちで風景を観て回っているとある大きな文字が視界に飛び込んできた。
“ジュネス“
太い筆で書かれた様なその看板は煉瓦造りの建物と相まって独特な存在感を放っている。「Cafe Restaurant」とウィンドウサインが施されており、レトロな喫茶店なのか!?と思ったのも束の間、目の前の信号が青に変わり、車の波に呑まれて消えてしまった。
それからというもの、私はあの建物に恋心に近いような感情を抱くようになった。わざと遠回りして店の前を通ったりなんかもした。しかしそんなぐらいでは気持ちは満たされる筈もない。1ヶ月ほど経ったある日、私は好きな子に告白しに行くような気持ちでジュネスに足を踏み入れた。
申し遅れたが私は北白川文化研究員no.1のノウグチカンタ。北白川周辺で暮らすただの大学生だ。好きなものは昭和レトロや辛い物。嫌いなものは早寝早起きと梅干し。
自己紹介は一旦置いておいてジュネスとのラヴストーリーに話を戻そう。
入店すると優しそうなお母様が出迎えてくれた。平日であったがそんなことはお構いなし。店内は老若男女で満席状態だった。
私は入って右手の窓側のテーブルに案内された。
見晴らしの良い席だったのでしばらく店内をぼーっと眺めていたのだが、お客さんは皆お喋りのひとつもせず黙々と食事に集中していることに気づいた。
ひとりで来た学生もふたり組のおばさまも無心で料理にかぶりつく。
そして何度か咀嚼したあとになんとも満足気な表情を浮かべるのであった。それは見ているだけで腹が減る、飲食店の理想とも呼べる光景だった。
思わずこぼれ落ちそうになる涎を拭い、メニューに目をやるも私が頼みたい料理は既に決まっていた。
「ハンバーグ!!」
目の前の学生が箸を入れたその刹那溢れ出た宝石を溶かした様に光り輝く液体を喉が欲していた。店に入ったその瞬間から私はハンバーグを頂く運命にあったのだ。すぐにお母様に声をかけ注文を済ませた。
長年大切に手入れされて来たことが伺える艶がかったテーブルや照明の数々に見惚れているとあっという間にハンバーグは高々と昇る湯気を纏いながら私のテーブルに運ばれて来た。
私が注文したのはAセットの「ハンバーグと魚フライ」。
その名の通りハンバーグと魚のフライをメインにサラダとライスとドリンクまで付いて950円となんとも良心的な値段設定。山盛り食べられる且つリーズナブルなのは学生が多い北白川という町で長年愛され続けている大きな理由のひとつだろう。
早速ハンバーグから頂く。
丸っこくてずんぐりとした愛らしい佇まいに思わず箸を入れるのを躊躇してしまうが、それでも舌が肉汁で溺れることを待ち侘びている。
呼吸を整え丁寧に箸を突き立てる。
「!!!!」
ゆっくりと沈む箸先から肉汁が止めどなく溢れ出る。サラサラと流れる液体は光を反射し時折星の瞬きのようにキラリと輝いていた。
肉汁の川がデミグラスソースの海に流れ着きフルイドアートのように混ざり合おうとしている神秘的な光景を少し楽しんでからその中にハンバーグを泳がせ、そのままひとくち口に入れた。
、、、なんて優しいんだ。
しっかり下味が付けられた柔らかくてジューシーなお肉が私の口の中を黄金に染める。時間をかけて丁寧に焼き上げられたのがたったひとくちで伝わってくる。ハンバーグのド真ん中と言えるようなストレートな味わいなのだが他のハンバーグよりも明らかに注がれた優しさが違う。とても懐かしく愛おしくて、少しが涙が溢れそうになる。
そんな味わい。
肉汁の正体は愛であった。
容姿に惹かれ、中身を知り、完全に虜になってしまった。どんなラヴストーリーよりも王道で真っ直ぐな愛で満ちた素敵な空間、ジュネス。
ひと時の恋が一旦の終わりを迎えようとしている。私は珈琲を一息で飲み干し会計済ませ、振り返らずに店を出た。
私は老舗洋食屋「ジュネス」にまだ恋をしている。
【ジュネス】
住所:京都府京都市左京区北白川堂ノ前町38-1
営業時間:8:30~18:00(L.O.17:00)
定休日:日曜日、月曜日
※営業時間や定休日は変更になっている場合がございます。
ノウグチカンタ / 北白川文化研究員No.1
冬はこたつで毎日鍋をつつきたい大学生
北白川歴:1年
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